すごいものを読んでしまった……。なんだろう、この名伏し難い気持ち。感情の波が静かに、だけど圧倒的に押し寄せてきて、押し流されるような揺蕩うような、激しいのに優しい気持ちになる。
小説は自分の心のなかの入ったことのない部屋を見つけてくれる。その部屋はずっとわたしのなかにあったのに知らない部屋で、だけど懐かしい。
こういう気持ちにさせてくれる小説は本当に少ない。わたしはその数少ない小説のひとつに今日出会ったんだ。
ずっと読もうとは思っていたけど、この本は若いときに読まなくてよかった。今この時期に読むべき本だった。
最初はこの小説のすごさがわからなかったんだよな。「すごく有名な小説なのに、派手なことは起こらないし目新しいこともないな?」と思っていた。拍子抜けしていたんだけど、とりあえず読み進めていった。
じわじわと、キャシーたちとまったく同じような経緯で、わたしは彼女たちが臓器の提供者であると知っていった。
以前から知っていたのに、よくわかっていなくて、理解が追いついていなかっただけで、本当は全部知っていたような気がするけど、実はよくわかっていない。この複雑な理解度を、自然に読者に体験させる。
あまりの技巧に、わたしはそのすごさがわかっていなかった。天才は難しいことをいとも簡単にやってのけるから、それが難しいことだと見ているものにはわからない。こういうことを村上春樹も言っていたような気がする。
彼女たちはクローンにまつわる問題の渦中で保護され、大人が決めた手順で事実を受け入れ、抵抗なく提供者になっていく。その過程は穏やかで葛藤もない。
本来であれば受け入れ難いことのはずなのに、生徒たちは自分たちの常識として提供の事実を違和感なく受け止めている。ヘールシャムの生徒は人間の普遍的な意識を持ちながら、同時に特殊なクローン人間としての意識も備えている。普遍と特殊が違和感なく同居しているんだ。
キャシーたちが提供を当たり前のこととして受け入れているあいだ、わたし自身も提供を当たり前のこととして受け入れていた。キャシーたちの心情に深くシンクロしていた証だ。
そう、彼女たちはクローン人間でありながら、わたしたちとまったく同じ感情を持ち、人と関係を持ち生きている。考え、話し、学び、作り、愛す。
キャシーの視点でキャシーの人生を追ってきたわたしたちにはそれがよくわかる。けれど、キャシーたちを取り巻く環境を丸ごと知っているエミリ先生やマダムから見たら、それは衝撃的なことだったんだろう。
それって食肉用の家畜がわたしたちと同じ魂を持ち、同じ意識や感情を持っていると知ることと同じだと思う。自分と同じように考え感じる家畜が殺されることを知っていながら育てるのって、どれほど恐ろしくて辛いことだろう。
ジュディ・ブリッジウォーターのnever let me goを聞きながら踊るキャシーを見て涙を流したマダムの恐怖や苦しみを想像すると、胸が塞がれたように重くなる。
必死でクローン人間の処遇を改善しようとしてきたマダムだからこそ、その罪の意識は深かっただろうな。自分がしてきたことはなんだったのかと何度も何度も自分に問うただろう。
マダムたちがしてきたことは、本当になんだったんだろうね……。でも、うん、キャシーやトミーを見ていると、それも意味のないことではなかったと思える。
こう考えてみると、突飛な設定ではあるんだよな。臓器提供用のクローン人間の話だから。だけど読んでいるあいだは、キャシーとルースのアンビバレントな友情とか、結ばれるはずなのに結ばれないキャシーとトミーの微妙な距離感とか、そういう人間関係の機微が心に迫ってくるんだよね……。
あと、ヘールシャム時代の記憶。その記憶があざやかで、大人になってもその頃のことを語り続ける生徒たちの気持ちが痛いほどわかって切ない。
コテージに行ってからの、ティーンエイジャーにありがちな気の遣いあいとか仲違いとかもみずみずしくて青々しくてこれも大切な記憶になっている。
本当に痛々しくて胸が苦しくなったのは、本当に愛しあっている者同士は提供が猶予になるという噂を信じて、展示館のことを推理して、その推測をもとに一所懸命作品を作り続け、それを見てもらおうとマダムのところに持っていったトミーとキャシーの純粋さ……。
そんなことあるはずがないと読んでいるわたしにはわかる。ということは、二人もわかっていたはず。なのに一縷の望みにかけて、すべての生徒たちの願いといっしょに、二人はマダムに会いに行った。
淡々と提供を受け入れているように見える生徒たちも、心の奥では怯えていたんだ。そしてなんとか運命を変えたいと思って、そんな荒唐無稽な噂にも縋りつかずにはいられなかったんだ。
あ、そうか。淡々と受け入れることができたのは、ヘールシャムの生徒だけだったのかもしれない。
他の施設の生徒たちはひどい扱いを受けていた。介護人が必要なのは、怯える提供者たちを宥めるためだ。
そっか、マダムやエミリ先生の働きは、決して無駄じゃなかったんだ。だってルースもトミーも穏やかに使命を終えた。きっとキャシーも穏やかに使命を終えるだろう。
子どもに不都合なことを隠す親のように、保護官は生徒から事実を隠されていた。わたしもトミーと同じようにルース先生が正しいと思った。
だけど、もし子どもの時にすべてを知らされていたら、幸せな子ども時代は送れなかっただろう。
マダムやエミリ先生が生徒たちのために必死でやってきた働きは、少なくともヘールシャムの生徒たちの人生を幾分か幸福にしたのではないかと思う。
幾重にも重なりあった層を持つ人間の心。風に揺れてその時々で様相を変え、ある層は朽ち、ある層はいつまでも色褪せない。層は別の人間の層と触れ合い、様々な色を織りなす。時に引き裂き、時に繕い、時に融けあって、最後には静かに消えていく。
言葉にできない愛。時を経て変わり、変わらない愛。それを丁寧に紡ぐ物語だった。