魂は困難も混乱もなく、いくつもの場所に存在し、観察し、そこで行動できる。それから、焦点を定めるだけでひとつの場所に戻り、自分と「再合体」する。
上記について信じるか信じないかはおいといて、ウルフの視点はまるでここに記述した死後の霊のように自在に、自由に、生き生きと存在している。
六月の美しいロンドンで、まるで自分も生を謳歌しているように感じたし、同時に死の冷たい肌触りも感じた。さまざまな人生が入れ替わり立ち替わり目の前に翻り、確かな感触を残して遠のいていった。
びっくりしたのが、クラリッサやピーターの年齢が五十歳を過ぎていたこと。あんなに瑞々しい感性を持ったままその歳まで生きられるんだろうか?
そしてこれまた驚いたのが、ヴァージニア・ウルフって100年も前の人だったの? てっきり現代の人だと思い込んでいた。うう、わたしの無知さが恥ずかしい……。
でも、でも、あの文章を読んで、100年前の人だとは思わないじゃん……。斬新で新奇で、挑戦的で美しい、はじめて読む文章なんだから……。天才は時代とか関係ないんだなあ。
この本、いま思い返すと読むのにけっこう苦労したんですけど、読み終わってみると、もう一度最初から読み返したくなる。読み終わってすぐにこんな気持ちになることは滅多にないんですが……。
映画を同時に何本も観た気分。クラリッサの映画、ピーターの映画、セプティマスの映画、レーツィアの映画、キルマンの映画、サリーの映画……その他大勢の、それぞれが主役の映画。こま切れだけど鮮やかな人生のワンシーンが同時に頭に流れ込んでくる。
こんなに豊かで軽やかな読書体験を今までしたことがあったかな? いや、おそらく、こんな芸当はヴァージニア・ウルフにしかできない。
他の作品も必ず読むだろうけど、しばらくはいいかな……。この余韻に浸っていたい。『ダロウェイ夫人』の世界だけを知っていたい。
なにはともあれ、ひさしぶりに痺れた読書でした。
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