この人って芥川賞受賞の際、未熟で痛々しい反抗的な態度を取っていたのをニュースで取り上げられてましたよね。共感性羞恥というのか、なんだか見ているこっちが恥ずかしくなってしまいました。
その印象が強く残って、逆にこの人はどんな小説を書くんだろうと思って読んでみたのが『共喰い』を読んだきっかけでした。
「へえ。ひねくれた中学生がそのまま大人になったみたいな態度とっていたけど、小説はけっこう尖ってるじゃん」と思ったような気がします。
いじめられていた子どもが成長することができずにグロテスクな大人になってしまったのかなあと思って小説もそうだと思っていました。
ですが作品は、意外にもちゃんと純文学で暴力的で救いがなくてけっこうおもしろかった記憶があります。
なにしろ『共喰い』を読んだのがずいぶん前なのであまり覚えていませんが。
でも、なんだかもったいないなあ。
たぶん面白い小説を書く方だと思うんですけど、あの授賞式のときのひねくれた顔と言葉が強烈に頭に残っていて、それに意識がひっぱられちゃうんですよね。
「受賞しといてやる」とかなんとか言い放ってましたよね? 全方位に喧嘩うってんのか? とびっくりしました。嫌悪感も多少ありました。
だから小説を読もうにも、出発点があの人の虚勢を張っているようにしか見えない無様な態度なんです。
まあ皮肉にも、無難な態度だったらわたしはこの人の小説を読まなかったでしょうが。
経歴も興味深くて、芥川賞を受賞するまで無職引きこもりだったとのこと。なので、作家の人生も面白そうだなあと当時思いました。
ですが自分から探索するほどの興味とはいえず……。今になって図書館の本棚で見つけたので手に取ってみました。
文壇から追い出されないかなと心配していたのですがそんなこともなく、名のある賞をいくつも受賞していて感心しました。
ですがこの本は、期待していたほどには尖っていなかった。拍子抜けしました。むしろ陳腐だと感じました。
あとがきで「口述筆記によって作られた」とあったので納得。話す言葉と書く言葉って、まったく違いますものね。思考や人格まで変わると思います。
しかもこの人はスマホどころかパソコンも持っておらず、原稿は原稿用紙に鉛筆書き。慣れた手書きと慣れない口述筆記なら、多少は書くものにも違いが出てくるでしょう。
それにしても、なぜかこの人はマイナスの評価からスタートしてしまうなあ。
それを覆してくれたのが『共喰い』だったけど、この『孤独論』は悪い意味で期待を裏切られた。
「あんな大口たたいてたのに、こんなもんか」と正直思ってしまいました。
『孤独論』の中で「仕事で相手を黙らせる」と豪語していたので、本業の作家の方ではきちんと黙らせてくれるのでしょうか。
田中慎弥ねえ……。これから読むかどうか……。うーん。保留ですね。
わたしは生身の作家が書いていることを作品に感じてしまうと興ざめしてしまいます。
作家の顔を写真で見てエッセイを読んで私生活の片鱗を知っていたとしても、本当に上手な作家は作品に自分の存在を一切感じさせません。むしろ文章を読んでいることを忘れさせる。
だけどなあ。田中慎弥の場合は、作者が机に向かって鉛筆でかりかり原稿用紙に書いているところがありありと想像できてしまって……。
もし良い作品だったとしても、「あの世間知らずそうな眼鏡のヒョロガリにこんな作品書けたんだ……」という意外性の驚きになってしまう。
やっぱりあの授賞式は悪手だったよ……。だって、十数年経ってもこんなふうに言われるんだもん。
田中慎弥のファンは「悪口を言う前に作品を読め」と言うかもしれませんが、わたしのようなミーハーな人間にはそういう印象を抱かれても仕方ないくらい、鮮烈な映像だったんです。
でも、ちゃんと作品を読めば評価が変わるかもしれない。
機会があったら他の作品も読んでみようかな。
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