10年間書き続けて160万字。
長すぎるよ……。これだけ巨大に膨れ上がった物語、わたしの手に負えるのだろうか。
いや、絶対に終わらせなければならない。
この物語が終わらない限り、わたしの人生は始まりもしないし終わりもしない。
あと五日間の出来事をかけば終わる。あとすこし、あとすこし……。
しかし小説は、毎日少しずつ進めればいいというものでもない。
まったく書けなくて一か月過ぎることもざらにある。
けれど、今日は久しぶりに進めることができた。
たった3000字だけど、わたしにとってその意義は大きい。
おそらく、小説を書けなかった一か月のあいだ、せっせと本を読んだことが小説の進展に寄与したんだろう。
わたしは昔から考えていることがある。
これはひとつの自論なんだけれど、インプットとアウトプットについて。
わたしの場合だけれど、「100のインプットに対して、1のアウトプットしかできない」と思う。
例えるなら、本を100冊読んだら1冊分の文章が書けるということ。
これを発見したのは小説を書き始めたころ、50万字書いた時点でぷっつりと書けなくなってしまったときだった。
わたしは昔から読んだ本を記録していたのだけれど、小説が書けなくなったとき、読んだ本がちょうど500冊になっていた。
一冊の平均が10万字だとして、500冊だと5000万字インプットしたということ。
その100分の1である50万字の時点でアウトプットができなくなった。
わたしは小説を書くとき読んでいる本の文章に引っ張られてしまうので、読書をやめていた。
書けなくなってからは意識して本をたくさん読み、無事に続きを書くことができた。
この100分の1の法則、けっこう当たっていると思うなあ。
現時点で1000冊インプットしているので、10冊分のアウトプットができているというわけです。
60万字上乗せされているけれど、それは映画や漫画、ネット小説のインプットの分。
だけどこの100分の1の法則、天才の場合はちがう。天才は50の入力で1の出力ができると思う。
大学時代に天才の友人がいて、その能力の違いに愕然としたものです。
こういうふうに、人によって100の部分が150になったり10になったり違うだろうな。
少ないインプットで多大なアウトプットができることを一言で言うと「才能」。そしてアウトプットの質がいい人を「天才」と呼ぶ。そういうことになりませんか?
そして天才であるためには良質なインプットが必要で、たとえ悪いインプットだろうと良いアウトプットに変換できる能力が備わっていること。
「才能」や「天才」を部分的に説明するならこんなかんじなのかなあとわたしは思っております。他にもひらめきやアナロジー等の要素があるでしょうが。
わたしはわりと漫然とインプットしていたから100だけど、きちんと体系立てて意識してインプットしたならもっと効率よくアウトプットの量を増やせると思う。
この法則、もっと単純にIQの違いに置き換えてもいいかもね。
IQが高ければ学習能力が高い、ってそれだけのことなんだけれど。
わたしは残念ながら稀代の天才というわけではないけれど、天才に追いつく方法はちゃんとあると思う。
それはやっぱり続ける能力。
わたしの知っている天才は続ける能力がまったくなくて、結局堕落してその才を十分に発揮できなかった。
うさぎとかめの物語って含蓄に富んでいますね。
かめのように遅かろうが諦め悪く続けていれば、わたしの書いている物語にもいつか終わりがくるでしょう。
未来は明るい。
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