期待せずに読み始め、可もなく不可もなく読み終わりました。
芥川賞受賞作だけあって上手だなあと感心しました。
ただ、わたしは男性の生まれ持った楽観主義や無意識の下心が個人的に嫌いなので、そこは刺さらなかった。
敦が水城さんに対して心のどっかで期待していたことが透けてみえて、浮気してるのに何様だと思ってしまいました。
敦だけじゃなく、どっかの営業所のセクハラ男性の水城さんへの歪んだ好意も不快だった。
女を玩具のように扱って、それを可愛がっていると勘違いしている男たち。
自分に気安く接する女は自分のことが好きなんだという無邪気な無意識の信頼。
自分の周りにいる女の評価の判断基準は、自分とのセックスを受容してくれるかどうか。
それで女にパートナーがいたら、自分の心を守るために何も感じていなかったふりをする。
単純すぎてつまらない男の心理。
まあ、こういう嫌悪の感情を抱かせるのも作者の技量だと思うので、心置きなくその仕掛けに乗っておきます。
表題作以外の短編がもうひとつありましたが、こちらも刺さりませんでした。
個人的に、女が生まれ持っている狂気やそれを当て付けのように配偶者にぶつけるのが嫌いなので。
鮎子は回りくどいんですよね。狂気なら狂気らしくまっすぐ発狂すればいいのに、あくまで生活に根ざした狂気の発露の仕方。
それに振り回される周囲はうんざりですよ。純粋な狂気ならまだしも、不純物が混ざった狂気なんて生臭くて目も当てられません。
女の狂気は、本物以外はどこかで醒めているんです。ただ配偶者に罪悪感を抱かせたいから発狂するんです。どこかに打算が含まれている。
まあ、この嫌悪はわたしの経験をこの小説の出来事に過剰に当てはめた結果でしょう。
なにはともあれ、どちらの短編もわたしが個人的に嫌っていることを描いた作品でした。
こういう人間の嫌なところを微妙な塩梅で描写するのが作者の強みなんでしょうね。
この作品で描かれたような、「忘れがちだけど人間ってこういう嫌なところあるよなあ」という部分。
それをさりげなく見せられて、嫌悪の感情をそこはかとなく思い出して、なんとなく嫌な気持ちにはなったけれど、そこまで感情をかき乱されない。
上手い具合に舵取りができていて、そういう作者の冷静さには安心して身を預けられました。
文学というのはこうでなきゃなあと思い出した作品でした。
でもなあ。
心は子どもなので、わたしは夢や憧れを描いた作品や小奇麗な作品が好みです。
だけどもういい年だし、こういうほろ苦い情景に感じ入るのもたまにはいいかもしれません。
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