自宅の近くに城があるので、よく散歩にいく。
よく考えると、「自宅の近くに城がある」ってちょっと面白いな。
たぶん、ふつう城は自宅の近くにない……と思う。
城下町に住んでいるから、近くに城があることに慣れ切っていた。
ともあれ、大体15時か16時ごろに行って、暗くならないうちに帰ってくる。
だけど昨日は、城でイベントが開催されているので、夜に行ってきた。
紅葉の季節に毎年行われているイベントで、綺麗な模様にくりぬいた竹のなかに黄色い明かりを灯したオブジェが城の至るところに設置されている。
誰もいない公園を通り、大きな樹が両側にたくさんあって茂みに囲まれている遊歩道を通り抜けて城内の広場に向かった。
だだっ広い広場に出ると、ちらほらと人がいた。
白くライトアップされた城を遠くにみながら、ゆっくり歩いてオブジェを眺めた。
本格的な写真を撮る人がいて、走り回ってはしゃぐ高校生たちがいて、カップルがたくさんいた。
カップルの会話をBGMにしながらのんびりまわった。
広場からすこし離れたところに古い邸宅が建っていて、そこでもおおがかりなライトアップがされているので、そこに向かって人のいない道を歩いた。
いろいろ考え事をしながら歩いていたので気付くのが遅れたけれど、夜の城というのはちょっと不気味だった。
ふと顔をあげて誰もいない暗い道を見たとき、突然とほうもない寂しさに襲われた。
まるで通りがかりの幽霊に取りつかれたかのような寂しさの襲撃だった。
城のはしっこ、ほとんど誰も通らない道、街灯の明かりが届かない暗闇を見たとき。
寂しくて気が狂いそうになった。ひさしぶりに、孤独が理由で涙がにじんだ。嗚咽を漏らしそうなほどだった。
その道を通る途中でカップルとすれ違ったけれど、寂しさの衝撃は去らなかった。
邸宅は紅葉がはっとするほどきれいで、束の間寂しさを忘れられた。
けれどそこから帰る道で、またもや孤独な気持ちが戻ってきた。
昼間の穏やかな光にあふれた愛しい道が、荒野になってしまったような気分だった。
夜の闇のなか疲れた足をひきずりながら、わたしは思った。
この圧倒的で致死的な孤独を忘れるためなら、怪しげな宗教にだってすがるだろう、と。
新興宗教にはまっていた両親のことをいつのまにか思い出していた。
わたしは両親を許すことができず、誰かが死なない限り連絡しないでくれと突き放した。
盲目的に妄信する彼らのことを理解することができなかった。けれどあの孤独に向き合うくらいなら、のばされた手にすがりついてしまうかもしれない。
わたしはたまたま孤独に対する耐性が高いので麻痺しているけれど、本当に人間というのは孤独なのだ。
しみじみと、心の底から、存在の根底から、孤独なのだ。
わたしが強迫的に本を読み映画を観てご飯を食べる時すら海外ドラマを観ているのは、孤独を忘れるためなんだ。
人々は死を想起させる孤独からがむしゃらに逃れるために、社会を築き上げ関係を構築し、城を建てるのだろう。
冬の夜の城を歩きながら、そんなことを思っていた。
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