わたしはこの本と映画ブログを完全に個人的な観点から書いています。
なので、おもしろいかおもしろくないか、わたしのものさしで測っているんですよね。
まあ本も映画もそれなりの数観てきたし、けっこう公平な評価ができるんじゃないかと思っていたんですが、それは大きな思い上がりでした。
わたしは感想を書くとき、他の感想を読んだり他の意見を聞いたりせずに書いています。
けれど会話のなかで映画の感想を言い合ったり、SNSで感想を見かけたりすることがあるんですよね。
それで気付いたんですが……。
わたしは映画のなかの「家族との心の通い合い」「人と人との関係性」みたいなものに価値を見出せていなかったんです。
そこを面白ポイントとして加算することをしていなかったんです。
なんということでしょう。
それに気付いたのはふたつの映画の感想を聞いたり見たりしたことがきっかけでした。
『エブエブ』についてあるお方とお話していたときに、その方は「ウェイモンドが次元を超えてエブリンを愛しているのが感動した」と仰っていたんです。
わたしはその点に全く注意を払っていなくて、それを聞いた時に目から鱗が落ちたような気がしました。
たしかにそれって考えてみるとめちゃくちゃ感動的じゃん。だけど、今までそれに気付かなかった……。
あとひとつの映画は『M3GAN』。SNSに感想が書いてあり、その人は親と子の関係性やアンドロイドと子の関係性におもしろさを見出していました。
たしかにそうじゃん……。そこに注目してみるとまた違った面白さがあるのに、わたしはホラーとして面白いかどうかで判断していた。
まあ、仕方ないことではあるかなあと思います。
わたしは両親に愛を感じたことはないですし、きょうだいに対しても壁があります。一応トータルで好きではあると思うんですけどね。でも愛や情というものがわかりません。
どこまでも孤独な人生です。わたしの世界にいるのはわたしのみ、それ以外は異物、ただ孤独だけがわたしに寄り添っている。それだけで生きてきました。
なので、わたしには致命的な盲点があるのでしょう。
心が石になって死んでいるところ、脳のシナプスが極端に薄いところ、魂が一部欠けているところ。それがわたしのなかにあります。
まあ、人生ですもの、そういうこともありますよね。
わたしはこれからも自分の観点からしか物事を見ることができません。
偏った映画評や書評を続けていくのでしょう。
でもそれでいいのかな、それしかできないな、と諦めます。
これからもこのブログは偏った個人の思考によって運営されていくことを表明いたします。
それでは。
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