児童書が好きなので図書館で本を借りるときは必ず一冊は児童書を借りています。小難しい本の息抜きに児童書は必須です。今回借りた児童書は『不思議を売る男』。原題は『A PACK OF LIES』。
おもしろかったなあ。古道具屋の品物についての逸話を語る物語。そうかと思えば意外な結末。
結末がね、ちょっと大人向けのビターな味だったよね……。あれがなかったら、無害なありきたりの児童書になっていたかもしれないね。
でもなあ。あの結末じゃない方が……物語としての完成度はあがっていたような気がするんだけど。
少なくとも、後味はまったく違ったものになっていたよね。
いや、あれでよかったのか……? でもなあ。児童書だよ? 「MCCは本当のことを言っていたんだ!」が結末でよくないか? 原題の『A PACK OF LIES』からのどんでん返しにもなるし。
二転三転するのは、ちょっと欲張りすぎたんじゃないかい……? と思ってしまうね。
だってさ、きれいな夢や憧れを素直に出せるのが児童書のいいところなんじゃないの? それをさ、MCCもエイルサも古道具屋も実在しなくて、冴えない小説家志望の中年男がそれを生み出して、最後にはそいつも消えてしまうって……。救いがないじゃん。
たしかにすごい結末だよ? 読者は驚くだろうさ。でも、その驚き、必要でしたか……? 作者の自己満足になってやしないかい?
いやいや、あの結末があったからこそ、この物語に深みが出たんじゃ……。
この物語は「うそつき」の物語だ。MCCが語るストーリーは偽りなのかそうでないのか? という「うそつき」の次元から、そもそもMCC自体が「うそつき」である小説家の作り出したストーリーの一部だった、という構造になっている。
これに面白味を感じるべきなんだろう。しかしなあ。ひとつひとつの物語が素晴らしいものだったから、そこで勝負するべきだったんじゃないかと思ってしまう。登場人物も魅力的だった。そう考えると、最後の小細工は不要だったのでは?
うーん。物語は「うそつき」が生み出す嘘だ、という作者のメッセージがあったのかな。
なにはともあれ、おもしろかったことは確かだ。
しかし考えてしまう。わたしなら、この結末にしただろうか……。
MCCやエイルサを好きになってくれた少年少女のことを考えると、この結末にはできなかった、と思う……。
こういうことを考えるのも、小説を読む醍醐味ですね。
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