なんだこりゃ笑。めっちゃおもしろかった笑。
誰が考えたんだろう、バービー人形の映画化なんて……良い意味でぶっとんでるね。
いやほんと、よく考えたらおかしいよね? バービー世界と現実世界の行き来を描くなんて……。考えた人は天才でしょ。新しい。新しすぎる。わたしたちは常に新しいものを見せてもらいたんだ。ありがとう、この映画を作った人。新しい世界、見れました。
時代に合ってる……のか。いやそれどころか、バービーでしか描けないものがあるな。うん。
バービーとケンの馬鹿馬鹿しさとあっけらかんとした明るさがなければ、この映画はただの口うるさい風刺映画で終わっていたような気がする。
格差や差別を描いてるのにこんなにハッピーで希望を持てる映画がかつてあっただろうか……。底抜けのハッピーさもわざとらしくてシニカルなんだよなあ。そこがいいね。
あの斬新な視点、すごくないですか? バービーは常につま先立ちだし食事をしないし恋愛もセックスもしない、そして老いもせず死にもしない! 毎日ビーチに行ってパーティして夜は女の子で集まって楽しく暮らしている。
そしてバービーのおまけでしかない存在のケン。バービー世界は女の子が主役なのが当たり前。バービーはみんな完璧で平等に輝いている。そんななか、現実世界の歪みがバービーに影響してあれよあれよという間にバービーとバービー世界は変化していく。
これって単純なフェミニズム映画じゃないんですね。「女性はこんなふうに虐げられている!」という主張すら誇張されて茶化されている。
男性が支配する社会もこれでもかと馬鹿にしているんだけど、それと同じくらいバービーたちの女性優位社会も馬鹿にしているんだよな。いや、馬鹿にしているというのは違うか。風刺している?
男性優位、女性優位、どちらの世界も見たバービーは自分を見失って絶望しちゃいますよね。それからなんやかんやしてバービー世界を女性の手に取り戻して、それじゃあこれからバービーはどう生きたらいいのか? という問いに映画がどう答えたかというと、産婦人科に行くバービーで映画を終わらせた。
一瞬、え? どういうこと? と思ったんだけど、作中で言及されていたバービーには性器がないという描写を思い出してなるほどと思った。
生きていくために、まずは自分の身体を知ることからはじめるってことだとわたしは思ったけど……どうだろう。性は生に内包され、生は死に内包されている。生きて死ぬひとつの肉体からすべては発する。
バービーは人形として完璧なプラスチック人生から、性器を持った生身の人間として生きることをはじめようとしているんじゃないかなと思った。
女性の権利とか男性の支配とか自分を自分たらしめるものは何かとか、いろいろな問題があった。それらをなんとかしようとする前に、まずは一番近いところ、自分にとってのすべてのはじまりでありおわりである肉体の理解から出発しようというメッセージなのかな……。
ちょっとこの解釈は自信がない……。
でも、社会でどんな問題が起ころうと人生で何が起ころうと、わたしという個人は肉体のくびきから逃れられない。逆にいえば、個人は肉体という砦に守られている。肉体だけがわたしの唯一にして完全な持ち物なんだ。
その肉体がどういうものか、人間になったばかりのバービーは知らないんだと気づいたとき、わたし自身もわたしの身体について知らないかもしれないと気づかされる。
社会や人生がどういうものかわからないのと同じくらい、わたしは自分の身体がどういうものなのか知らない。
人間として生きていくなら、まずは自分について知ることが大事なのかなあと思った。
まあそういう小難しいこと抜きにして、ほんと純粋におもしろい映画だった。声出して笑ってた気がする。もう一回観たい、いや何回でも観たいかも!
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