わたしは気持ちがどん底に暗くなる映画を避けているから過剰に警戒してしまった。邦画や韓国映画を避けているのはこの理由による。救いようのない展開や露悪的なリアルは観たくない。この映画もその類かと危惧してたけど杞憂に終わった。
この映画、批評家の評価は高いみたいなんだけど、わたしはそれほどでもなかったな……。ただマッツ・ミケルセンが観たかったというミーハーな気持ちで観ていたからかもしれない。
映画の結末を観て、アルコールに対する態度がどっちつかずに感じた。人生に向き合おうとする時、アルコールはどのように作用するか? 映画の後半では悪影響を与えると描写していると思いきや、ラストはアルコールを肯定的に捉えている。
でも、よく考えてみると本質的にお酒ってそういうものだよね。お酒はナイフと同じで、それを上手に扱う人には便利なもので、振り回される人にとっては災いになる。それを上手く描いているのかもしれない。
マーティンが家族を失いかけたのに比べて、同僚は夫婦の危機を乗り越えたと言っている。同じ実験に参加した者なのに、その結果はまったく違っている。マーティンも言っていたように、小さなことが結果を大きく変えていくんだろうな。
だから、アルコールを悪だと結論づける必要はまったくなくて、ラストシーンのように人生の祝祭を彩るものとして描かれたのはよかったんだろう。
マッツ・ミケルセン目当てで観ていたわたしからすると、ダンスをするミケルセンを観られただけでもう満足。監督にありがとうと言いたい。ミケルセンがもともとダンサーだったことを活かしてくれてありがとう。
でも思い返してみると、シンプルながらも考えさせられる映画だったな。アルコールに依存しがちなわたしからするとさらにその思いは強まる。
わたしは鬱の時期はアルコールを毎日飲まないと落ち着かないし、気持ちを高めてくれるのは飲酒タイムしかない。一日落ち込んでいるよりも、たったひとときでもアルコールで気持ちよくなりたくなる。
小説を書いていたとき、小説に向き合うのが怖くてお酒なしでは書けないこともあったし、お酒で調子を良くなるから飲みながら書いていたこともあった。お酒のことを考えると飲まずにはいられなくて、深夜だろうと早朝だろうと買いに行ったこともあった。
はあ……。こうしてお酒のことを書いていると、しこたま飲みたくなってくる。一応自制はできていて、ビール500ml一本しか飲まないようにしているんだけど、飲もうと思えば6缶パックもペロリと飲んじゃう。というか、それくらい飲まないと飲んだという気がしない。
うわ、飲みたい……。したたかに飲んで、しっかりと酔っぱらいたい。ビール一本で酔えないし……。
わたしもひとつ間違えたら、アルコール依存症になるんだろうな。そしてトミーのように海に落ちて死んでしまうこともあり得るんだ。
日々の生活って一本の綱の上を渡っているようなもので、バランスを崩したら下に真っ逆さまなんだよな。そんな恐ろしいことをしているから、すべてを忘れてアルコールに縋りたくなる。だけどアルコールのせいで足元がおぼつかなくなる。
バランスなのかな……何事も。でも、たまには、映画のラストのマーティンのように、お酒を飲んで空を飛べるような気持ちになりたい。
今日はすこし多めにお酒を飲むことを許そう。なんの祝祭でもないんだけど、たまにはそういう日があってもいいよね。
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