2024/11/10

あさのあつこ『バッテリー』感想

ここ数日間、本当に『バッテリー』のことしか考えてなかった。一日に一冊、時に二冊読んでいて、さっきⅥの完結編を読み終わったのですが、この、行き場のない気持ちをどうすればいいのか、わからない。

感想ブログなんてものをしているわたしだけど、実は読んでも感想を書かない場合もあって。

まず、読んだことがある作品の感想は書かない。それと、自分にとって個人的で大切な作品は、感想を書かない。

二度目を読むってことは大切な作品であることが多いので、感想を書かない理由としては一つなんですね。大切な作品は、感想を書きたくないんです。自分の心の裡に秘めておきたい。完璧に伝えられないなら、自分だけのものにして、自分だけがわかっていればいい。

『バッテリー』も感想を書かないつもりでした。でも、大切だからって感想を書かないのは、もうやめようかな、と思って。

わたしは言葉が拙いし、言葉にできないことが本当に大事なことだと思っているので、自分の気持ちを下手に言葉に変換して固定したくないという思いがどうしてもあります。固定してしまったら、そこに自分の思いが囚われて閉じ込められてしまうと思うから。

それに、大切な思いであればあるほど、他人にさらすのは怖い。傷つけられるかもしれないし、誤解されるかもしれないし、ちゃんと伝えられないかもしれない。

だけど、『バッテリー』を読んで、それじゃいけないと思った。言葉を尽くして、どんなに不器用でも、自分の気持ちを外に出そうと思った。

巧の心情がどうだとか、豪の変化がどうだとか、そんなことは語らなくてもいい。読めばわかることだから。

とりあえず、言葉にできないままでもいいから、記そうと思う。

読んでいるあいだ、心がぐちゃぐちゃになったこととか。最終章は、緊張が高まり過ぎて息ができなかったこととか。最後の一文を読んだ瞬間、泣いてしまったこととか。

なんか……いま、読めてよかったかも。

子どものころにⅠ巻とⅡ巻は読んでいた。だけどローマ数字がわからなくて、それ以降は読んでいなかったんだよな笑。

それと、姉がこの小説を大好きで、一番好きな小説だと言っていて。なんだか『バッテリー』は姉のものだという意識があったから、手を引いていた。あさのあつこ作品はたくさん読んでいるけど、『バッテリー』には手を出していなかった。

姉はこの小説を誕生日プレゼントかクリスマスプレゼントで一冊ずつ買ってもらっていた。うちは貧乏で、無尽蔵に本を買い与えられる環境でもない。姉のほとんど唯一といっていい蔵書だったかもしれない。

小さい頃、わたしの母親は暴力がひどくて。キレると叩くは殴るは物でぶつわ、大変でした。他にもいろいろされたけど、あまり覚えていない。だから、忘れていたんだけど。

ある日キレた母親は、姉が大切にしていた、姉が一番好きな小説である『バッテリー』を、ビリビリに破いたんです。破いたどころの話じゃない。破壊されました。徹底的に。修復なんてできないくらいに。6冊あるうちの何冊が破かれたのか、わからない。聞けなかった。

気が強くて反抗的な姉が泣き叫んでいたのはおぼろげながら覚えているけど、思い出したくない。

そっか。このことがあったから、読まなかったのかもな。そのことをずっと忘れていて、Ⅵ巻を読み終わる頃に思い出した。

本を傷つけられると、その本が大事であればあるほど、読めなくなるんだよな。小さい頃のわたしが一番好きな本は『ハリー・ポッター』だったんだけど、家の雨漏りで濡れてしまって、そのことがショックすぎて読めなくなってしまって、結局最後まで読めたのは最近になってからだった。

やっぱり、子どものとき、『バッテリー』を読んでいなくてよかった。もし読んでいて、目の前でその本が引き裂かれてしまったら、何かが壊れてしまっていたかもしれない。

いま、このとき、読めてよかった。

自由で、ひとりで、だれかに脅かされることも、遠慮することもなく、わたしはこの本が好きだと言える。一万円する全巻セットも買える笑。

自分のなかにだけ閉じ込めないで、全世界に向けて、胸をはって言おう。

『バッテリー』が好きだ。大好きだ、と。

2024/11/05

ウルフ『ダロウェイ夫人』感想

うわうわうわうわ……。すごい、すごい。最後の一文を読んだ瞬間、息が止まって今までにないくらい鳥肌が立った。すごいものを読んだ。これは……すごい。

正直、中盤は退屈だったんだけど、最後のパーティの場面は息つく暇もなく読み上げて、そして最後のあの一文だよ……。読み終わった瞬間、雷に打たれたように、はっきりとわかった。これは名作だと。普通の本とは明らかに違う。身体の生理的な反応がちがう。残酷なくらいわかってしまう。

わたしは学問的な難しいことはぜんぜんわからない。だけどこの作品が文学史において重要な作品になった理由が、後代まで読み継がれる理由が、こんなに無教養で無粋なわたしにもわかる。それくらい、名作っていうのは明確な力があるんだ。その差が他の本と隔絶しているんだ。恐ろしいな……。

ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話3』に、死後の魂についての記述があります。死後の魂は生き続け、あらゆる場所を飛び回れるというんです。思考のスピードでたちまちどこでも行きたいところにいけるし、いっぺんに二つの場所にいられる。それどころか三つでも五つでも同じだと。

以下同本から引用。
魂は困難も混乱もなく、いくつもの場所に存在し、観察し、そこで行動できる。それから、焦点を定めるだけでひとつの場所に戻り、自分と「再合体」する。

上記について信じるか信じないかはおいといて、ウルフの視点はまるでここに記述した死後の霊のように自在に、自由に、生き生きと存在している。 

六月の美しいロンドンで、まるで自分も生を謳歌しているように感じたし、同時に死の冷たい肌触りも感じた。さまざまな人生が入れ替わり立ち替わり目の前に翻り、確かな感触を残して遠のいていった。

びっくりしたのが、クラリッサやピーターの年齢が五十歳を過ぎていたこと。あんなに瑞々しい感性を持ったままその歳まで生きられるんだろうか? 

そしてこれまた驚いたのが、ヴァージニア・ウルフって100年も前の人だったの? てっきり現代の人だと思い込んでいた。うう、わたしの無知さが恥ずかしい……。

でも、でも、あの文章を読んで、100年前の人だとは思わないじゃん……。斬新で新奇で、挑戦的で美しい、はじめて読む文章なんだから……。天才は時代とか関係ないんだなあ。

この本、いま思い返すと読むのにけっこう苦労したんですけど、読み終わってみると、もう一度最初から読み返したくなる。読み終わってすぐにこんな気持ちになることは滅多にないんですが……。

映画を同時に何本も観た気分。クラリッサの映画、ピーターの映画、セプティマスの映画、レーツィアの映画、キルマンの映画、サリーの映画……その他大勢の、それぞれが主役の映画。こま切れだけど鮮やかな人生のワンシーンが同時に頭に流れ込んでくる。

こんなに豊かで軽やかな読書体験を今までしたことがあったかな? いや、おそらく、こんな芸当はヴァージニア・ウルフにしかできない。

他の作品も必ず読むだろうけど、しばらくはいいかな……。この余韻に浸っていたい。『ダロウェイ夫人』の世界だけを知っていたい。

なにはともあれ、ひさしぶりに痺れた読書でした。

2024/11/03

千早茜『魚神』感想

千早茜の本ははじめて。幻想小説が読みたくて、ネットで検索してでてきたので読んでみました。

おもしろかったけど、すこーしだけ、なんというか、うーん。なんていえばいいか難しいけど……、超越を感じなかった。幻想小説を期待して読んだからかな。いや、この本は分類するなら幻想小説、なのか。うん……。

文句なしにおもしろいのに、そこまで読後に興奮できなかったのは、もう完全に好みの問題だろうな。話の筋もいいし、登場人物も魅力的だし、すごく印象に残る物語だと思う。だけど、なんだか手放しに熱狂できない。作家にすべてを委ねることができなかった。

わたしは、人間が書けないものを書くのが小説家だと思っていて。『魚神』を読んでいるあいだ、これは人間が書いたものだという意識がずっとあった。

先のブログに書いたけど『なんたってドーナツ』で千早茜のエッセイを先に読んでしまったからかなあ。でも、作家のエッセイを読んだあとでも、小説を読んでいるあいだは作家の存在を忘れてしまえる作品もあるし。

作品が作家から離れて、それだけで存在するような本がやっぱりおもしろいなあと感じるので、そういう観点から見たら、『魚神』はわたしの琴線には触れなかったかな……。

これを言ったら本当に失礼なんだけど、正直に書くと。『魚神』で白亜が蓮沼と心中未遂をしたところまで一気に読んで、途中で中断してネット小説を読み始めたんですね。そうしたら夜を徹してそのネット小説を読んじゃって。三十万字越えの大作。

その小説はネットで有名なわけでもなく、数ある作品のなかのひとつなんですよ。どこかの誰かが無料で公開してくれている作品。だけどすごい迫力で、途中でやめられず結局朝まで読んでしまいました。感動して泣いてました。

その作品を読み終わり、ひと眠りしてそれから『魚神』の続きを読んだのですが。ちょっと拍子抜けしちゃったっていうのが正直なところ……。ネット小説のほうがおもしろかったとは言いませんが、もっと格の違いを見せつけてほしかった。

でも、千早茜はこの本が長編処女作らしいから、今はどういう小説を書いているかが重要なんだよな。うーん。千早茜の他の本を読むかは……微妙……。肌に合うか合わないかもあるし……。

男ともだち』が気になるので、それを読んでみようかな。

2024/11/01

早川茉莉編『なんたってドーナツ』感想

なんたってドーナツ』を図書館から借りた日、数年ぶりにミスドにいってドーナツ食べました。二個食べました。チョコファッションとポン・デ・黒糖。この本、ドーナツを食べてから読まないと危険だと思ったので。

今、絶賛幻想小説ブームなので、千早茜の本を図書館の検索機で探していたんですね。そうしたら、検索結果にこの本がでてきたんです。村上春樹の影響でドーナツに並々ならぬ興味を抱いているわたしとしては無視することができず……。読んでみると村上春樹のエッセイも載っていて嬉しかった。

千早茜も寄稿していて、読んでみたところ、彼女は高校の頃は偏屈で、本は「死んだ人しか読まない」というルールを自分に課していたそうです。これを読んでわたしは(村上春樹と同じじゃん……)と思ってて。

そんな千早茜が模試を受けたところ、ドーナツを食べる主人公が出てくる小説が問題になっていたと。千早茜は解答の選択肢に答えがないことに愕然とし、その小説のせいでドーナツにモヤモヤとした感情を抱くようになったそうな。

(その小説、なんか村上春樹っぽい小説だな……)とわたしは思っていたんですが、本当にそうだった。千早茜がのちに友人から赤と緑の小説を勧められ読んでみると、試験の文章にそっくりだったと。それから千早茜は「死んだ人しか読まない」というルールを曲げ、その小説家の本を片っ端から読んでいったそうです。

試験の問題になっていたのは村上春樹の『風の歌を聴け』で、友人に勧められたのが『ノルウェイの森』だったわけですね。なんだか妙なつながりを感じて、ちょっと不思議な感じがしました。千早茜は『魚神』を借りていて、これから読むので期待が高まります。

この本を読んでつくづく思ったのが、理想のドーナツに出会うことって本当に難しいということ。一回だけ理想のドーナツを食べた覚えがあるんだけど、どこで食べたドーナツだったか、記憶にないんだよなあ……。

ミスドとかのチェーン店のドーナツは違うんだよ。うちのマンションの隣にあるパン屋さんのドーナツも違う。市販のドーナツもいまいち。どこで美味しいドーナツに出会えるんだ……。

ドーナツ好きだから見つけたら必ず買うんだけど、いつもがっかりする。がっかりするのに買ってしまう。美味しいドーナツを食べた記憶がほとんどないのに、どうしてドーナツのことがこんなに好きなんだろう。

この本にはドーナツの作り方も載っていて、その部分は流し読みしてしまったんですが、自分で作ってみようかな。ホットケーキミックスとかじゃないやつ。

ああ、ドーナツが食べたい。ドーナツ、ふしぎなたべもの……。

川上弘美『竜宮』感想

川上弘美……好きかもしれない……。『センセイの鞄』しか読んだことなかったんだけど、ちょっと興味が湧いてきた。

最近、山吹静吽『夜の都』を買いました。図書館で幻想小説をピックアップして紹介していたことがあって、そこで見つけて読んだんですが、いつまで経ってもその本のことを忘れられなくて。

その本が手元に届いた今、自分のなかで幻想小説ブームがきていて、しかも女性作家のものが読みたいなあと思い、ネットでおすすめを検索して『龍宮』を借りて読んでみたんですが、うーん、幻想小説ってクセになる。

日常とは逸脱した感性がさらりと当たり前のように眼前に供されて、ぎょっとする間もなく物語に引き込まれていく。不思議な湿っぽい空気を吸って、嗅いだことのない匂いを嗅ぎ、異形の肌触りを感じる。

それぞれの短編があまりにも不可思議で生々しかったから、唯一無二の記憶として脳に刻まれたみたいで、タイトルを見ただけでその物語の世界を生々しく思い出せる。

あとで思い出せるよすがとしてタイトルをここに書いておこう。

『北斎ほくさい』『龍宮りゅうぐう』『狐塚きつねづか』『荒神こうじん』『鼹鼠うごろもち』『轟とどろ』『島崎しまざき』『海馬かいば』

すごいなあ。タイトルを見て、物語の筋を思い出していると、自分でも知らない間にその物語のなかにずるずると引きずり込まれていく。

女性を追う蛸男、人家の裏戸で残飯を食らう乙姫、ケーンと鳴く老人、植木鉢のあいだを走る荒神様、長い爪でヒョイとアレを捕まえるもぐら、長い廊下の先で姉と夫婦になる弟、先祖の膝に乗り泣く女、人に混じって暮らす海のもの。

形をもち、皮膚があり血が通い、その下にどろどろとした内臓と欲望がある異形と人間が互いを求めてウロウロとさまよう世界。

そんな世界を静かに、どことなくおかしく描きだす川上弘美の世界、もっと読んでみたい。

次は『蛇を踏む』『溺レる』を読んでみる。

2024/10/31

『ベスト本格ミステリ2012』感想

図書館をウロウロしてたら『ベスト本格ミステリ』なるものを見つけたので、久しぶりにミステリ読むかあ、と思って借りた本。まずは2012年のものから借りました。

これがまたけっこう良くって……。ミステリの美味しいところをちょこちょこつまんでオードブルにしました、ってかんじの本でした。

おもしろかったのが、作家によっていろんなシリーズを持っているところ。たとえば、青井夏海は<助産師探偵シリーズ>を持っているし、滝田務雄は<田舎の刑事シリーズ>を持っている。

ミステリ作家ってなんらかのシリーズを持っているのが普通なんだなあと知りました。わたしはミステリにはとんと疎いので、ちょっと新鮮。これ、ミステリ好きの人なら常識なんだろうな笑。

どの小説が一番おもしろかったかというと、この本の最初を飾る『オンブタイ』! これは最後の一文を読んだ瞬間鳥肌が立ちました。

『オンブタイ』の作者、長岡弘樹を検索してみるとご本人の写真が検索トップにでてきたんですが、とても温厚そうな整った顔立ちをした方で、作品とのギャップにたまげました。作品の印象としては、冷たい顔をした厳しい顔つきの人だと思ったのに……。

長岡弘樹はどんな作品を書いているのかなと思ってWikipediaを覗いてみると、<教場シリーズ>を書いているそうで……。そして作品の多いこと多いこと……またもやたまげました。

あんなに大量の作品を書いて、ネタ切れにならないものですかね……。他の作家の作品とも被らないようにしなければいけないし。それにしても、推理小説家って特殊な職業ですよね……。探偵と同じくらい物語性があるような気がする。

推理小説家が探偵の小説ってあるのかな。うわ、自分で考えといてなんだけど、おもしろくなさそう……。ちょこっと調べてみたところ、あるには、ある……? 失礼しました……。

今後はわたしとしてもミステリをもっと読んでいきたいので、まずはこの『ベスト本格ミステリ』の他の年も読んで、好きなシリーズを見つけて読んでいこうかな。

2024/10/22

柳美里『家族シネマ』感想

読んだことのない作家、特に女性作家の作品が読みたくて、いろいろ迷った末に選んだのが柳美里の『家族シネマ』でした。

柳美里を読むのはこの本がはじめて。なぜ今まで読まなかったかというと、柳美里って虐待が報道されたことがありましたよね。それで読むのをやめました。

報道が具体的にどういう内容だったか、虐待が本当にあったのか、今となってはわかりませんが、その記憶が薄れていたので手に取ったというのが正直なところです。

わたしは好きな作家ばかり読んで新しい作家をなかなか開拓しないし、したとしても気に入ることはほとんどありません。柳美里も、心から好きになれたとは言えない……。

でも、読みごたえはありました。特に表題作で芥川賞もとった『家族シネマ』は静かな気迫があった。

家族という人間の集まりの醜さ、煩わしさを淡々と映している。そして壊れた家族で生きてきた者の歪(ひずみ)が性の乱れとして表出することへの諦め。自分を大切にすることができない人間の悲しい性(さが)。

わたしも家族とは醜く煩わしいと思っていた時期があったし、自分を破壊するために性を徒に振りかざしたこともあるし、自分を大切にできなかった。

でも、そんなわたしがこの本を読んだからといって何も変わることはなかった。共感もしない、救いもない、怒りもない。でも悲観的ではない。そして爽快感もない。

でも、それが心地いい気がする。ほっといてくれる安心感。ただ情景を見るだけで、心かき乱されることもなく通り過ぎていく。

助けが必要なわけではない、救いを求めているわけでもない、浄化も昇華もどうでもいい。そういう心境にとって、この小説の距離感はなかなかいい。

柳美里の他の作品を読むかどうかは……ちょっとわからない。他にも読んだことのない作家を読んでみてから決めよう。

あさのあつこ『バッテリー』感想

ここ数日間、本当に『 バッテリー 』のことしか考えてなかった。一日に一冊、時に二冊読んでいて、さっきⅥの完結編を読み終わったのですが、この、行き場のない気持ちをどうすればいいのか、わからない。 感想ブログなんてものをしているわたしだけど、実は読んでも感想を書かない場合もあって。 ...