2023/12/31

2023年おもしろかった本ランキング

年末ですのでやっておきましょう、今年読んでおもしろかった本ランキング!

昨日の記事で今年読んだ本はリストアップしたのですが、おもしろかった本は色をつけるだけに留めていたので、改めてまとめたいと思います。

ちなみにネタバレありです。

それではどうぞ!
  1. 恩田陸『蜜蜂と遠雷』
  2. 森博嗣『有限と微小のパン』
  3. ポール・オースター『鍵のかかった部屋』
  4. 山吹静吽『夜の都』
  5. ゲーテ『若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ』
  6. ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
  7. パトリック・レドモンド『霊応ゲーム』
  8. ウィリアム・モリス『ユートピアだより』
  9. 内海健『双極性障害Ⅱ型という病』
  10. 松木邦弘『不在論:根源的苦痛の精神分析』
こんなかんじになりました!

まず第一位に輝いた恩田陸『蜜蜂と遠雷』

これは読んだのが最近ということもあり、大好きな森博嗣を抑えて一位となりました。
ピアノに人生を狂わされる若き才能たちのコンクールにまつわる群像劇。
ピアニストの栄光と挫折をまざまざと描き、文章で音楽を聴くという稀な体験をさせてくれたこの作品が今年の一位となりました。

そして第二位は誰もが認める絶対的天才作家森博嗣『有限と微小のパン』

S&Mシリーズの最終巻です。巻が進むにつれてどんどん分厚くなっていったS&Mシリーズですが、最後にはちょっとした頭なら余裕でかち割れそうな厚みになっていましたね。犀川の最大の宿敵にして特別な相手である真賀田 四季の再登場に胸が躍りました。フィナーレを飾るにふさわしいトリックには脱帽でした。仮想現実のあれこれが2001年に書かれているとは空恐ろしくなります。

第三位はポール・オースター『鍵のかかった部屋』

《ニューヨーク三部作》の最期を飾るにふさわしい内容でした。三部作をつらぬいた孤独と自我の喪失の痛みは、いま思い出しても胸に迫ります。けれどこの本では、現実に根差した幸福が書かれていてそこは唯一の救いと言えるのかなあと思います。ポール・オースターはこの作品を書き終えて次にどんな作品を書いたのか? 期待と不安でいっぱいです。

第四位は山吹静吽『夜の都』

意外な作品がランクインして自分でも驚いております。はじめて読んだ作家さんで、普段はあまり読まない幻想小説でした。けれど非常に心に残っております。古き日本に訪れた異国の少女が巻き込まれた不思議な魔法にまつわる話。クダンが憎めない性格で最期も美しくて素晴らしい小説でした。

第五位はゲーテ『若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ』

やっぱりゲーテは文句なしにおもしろかった……。ただ手紙が時系列に列挙してあるだけなのにどうしてあれだけ読ませてしまうのだろう。しかも恋に激しく狂った青年が友人にあてて溢れる思いをぶつけているだけなのに、ぐいぐい引っ張られて読んでしまう。シャルロッテについてもいろいろと女性として思う所があるんですよ。でも書いていたらキリがないので……。ああ、ゲーテよ永遠なれ!

第六位はジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

タイトルと装丁を見て絶対おもしろい小説だと確信して読んだのですが、やはりおもしろかったです。あらすじはなんてことない小説なんですが、語り手が変わっていく手法とか写真を使った表現とか、見どころがたくさんあって飽きないんです。最後の写真で、同時多発テロ事件で落ちていった男の写真が空へのぼっていくようになっているところには救いを感じました。

第七位はパトリック・レドモンド『霊応ゲーム』

少年愛的な要素があると風の噂で聞いたので読んでみました。期待通りの良質な少年愛を見ることができて大変満足しました。閉鎖的なパブリック・スクール、気弱な主人公に近づいてくる危険な匂いのする孤高の少年……。そりゃあ好きでしょう。ええ好きですとも。劇的な最後も良きでございました。

第八位はウィリアム・モリス『ユートピアだより』

夢にひたれる小説です。この小説が書かれたのって何年前ですっけ? 19世紀末かな? その時代に書かれた理想郷に現代のわたしがうっとりしてしまう。それってすごいことですよね。人間が求めるものは科学によって先鋭化されどんどん現実になっていくけど、ある一方では何百年経っても変わらない理想があるんでしょうね。

第九位は内海健『双極性障害Ⅱ型という病』

今年になって双極性障害だと診断されたので、いろいろと本を読んだなかで一番有益だった本です。まだ手元にはないですが、ちゃんと購入して何度も読み返そうと思います。双極性障害の方で、いろいろ読んだけどいまいちピンとこないという方はこの本を読んでみるといいかもしれない。

第十位は松木邦弘『不在論:根源的苦痛の精神分析』

この本も購入して内容を自分のなかに溶解させたい本です。なんか生きていると「何と戦っているんだ自分は?」と思うときがあるじゃないですか。そういうとき自分が何と戦っているのかがなんとなくわかった気になれる本でした。まだしっかりと理解できていいないと思うので再読したいです。


駆け足でしたが、今年読んでおもしろかった本ランキングでした!

わたしは今まで読んだはしから忘れていくという本の読み方でした。
でもこのブログのおかげで、読み終わったときの記憶がそのまま保存されているんですよね。
これってけっこういいかんじです。
このブログは続けられる限り続けていきたいなあと思います。

それではよいお年を。

2023/12/30

ナンバリングの訂正があります。

はあ。また記録漏れの本がありましたよ。

記録漏れしていたせいで、また1000冊目の本やそれ以降のナンバリングが変わりました。

しかも記録漏れが多かったものだから、今ではわたしは1019冊本を読んでいます。

次回からは正しいナンバーでいきますので、数字が飛びます。

よろしくお願いいたします。

ちなみに1000冊目以降はこんなかんじです。

#1000 あなたに似た人Ⅱ  ロアルド・ダール
#1001 アナザー  綾辻行人
#1002 魔法の声  コルネーリア・フンケ
#1003 夜の都  山吹静吽
#1004 螺鈿の小箱  篠田真由美
#1005 原稿零枚日記  小川洋子
#1006 夜のかくれんぼ  星新一
#1007 シャーロック・ホームズの生還  アーサー・コナン・ドイル
#1008 村上さんのところ  村上春樹
#1009 蜜蜂と遠雷  恩田陸
#1010 吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト  吉本ばなな
#1011 哲学と宗教全史  出口治明
#1012 鍵のかかった部屋  ポール・オースター
#1013 たんぽぽのお酒  レイ・ブラッドベリ
#1014 こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ  岡田淳
#1015 I Love Youの訳し方  望月竜馬
#1016 八月の路上に捨てる  伊藤たかみ
#1017 吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ  吉本ばなな
#1018 グリーン・ノウの子どもたち  ルーシー・M.ボストン
#1019 孤独論 逃げよ、生きよ  田中慎弥

あと、映画にも一本記録漏れがありましたので、次回からは正しいナンバリングでいきます。
映画館で観ていたものを数にいれていなかった……。
この調子でたくさん記録漏れがあるんだろうなあ。
まあ、気にせず適当にやっていこう。

2023年に観たドラマ・アニメ

最近は海外コメディドラマばかり観ていて、アニメ作品はほとんど観ませんでした。

年をとるとアニメって観れなくなりますねえ……。

さみしいものです。


1 モダン・ファミリー(2周)

2 ブルックリン・ナイン-ナイン

3 ウェンズデー

4 ぼっち・ざ・ろっく!

5 ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋

6 ブリジャートン家

7 チェンソーマン

8 アーケイン(2周)

9 ママと恋に落ちるまで

10 ブラック・ミラー

11 水星の魔女

12 響け!ユーフォニアム

2023年に観た映画154本

今年観た映画をリストアップしました。

並べてみると少ない気がするなあ。

特に面白かったものを10作品選んで色をつけています。


1 死霊院 世界で最も呪われた事件
2 ブルー・マインド
3 テイキング・オブ・デボラ・ローガン
4 ヴィジット
5 ウィリーズ・ワンダーランド
6 マイティ・ソー/ダーク・ワールド
7 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
8 LAMB/ラム
9 セブン
10 死霊院 悪魔のせいなら、無罪。
11 レフトー恐怖物件ー
12 ケース39
13 マザー!
14 コーダ あいのうた
15 ザ・ボーイ 人形少年の館
16 ステップフォード・ワイフ
17 キュア~禁断の隔離病棟~
18 ライト/オフ
19 ガール・オン・ザ・トレイン
20 パラノーマル・アクティビティ/呪いの印
21 パラノーマル・アクティビティ2
22 マリグナント 狂暴な悪夢
23 パラノーマル・アクティビティ3
24 アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち
25 スレンダーマン 奴を見たら、終わり
26 ザ・マミー
27 ヤン・シュヴァンクマイエル アリス
28 インベーション
29 スプリット
30 ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷
31 ゲスト
32 REC レック/ザ・クアランティン
33 プレデター
34 アウトロー
35 スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲
36 スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還
37 ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
38 Mr.ノーバディ
39 サウンド・オブ・ミュージック
40 マレフィセント2
41 シンデレラ
42 シェイプ・オブ・ウォーター
43 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
44 あなたは私のムコになる
45 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
46 アザーズ
47 ザ・コンヴェント
48 007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
49 ヒットマンズ・ボディガード
50 ヒットマンズ・ワイフズ・ボディガード
51 アントマン
52 シビル・ウォー キャプテン・アメリカ
53 ドクター・ストレンジ
54 コレクター
55 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
56 ルール
57 永遠に美しく・・・
58 インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク(聖櫃)
59 NOPE/ノープ
60 グレイテスト・ショーマン
61 ファイナル・デスティネーション
62 ゾディアック
63 ディアボロス
64 マダム・メドラー おせっかいは幸せの始まり
65 ラ・ヨローナ~泣く女~
66 最強のふたり
67 モービウス
68 ザ・インタープリター
69 ドント・ブリーズ
70 NY心霊捜査官
71 エクソシスト3
72 モンスターズ ユニバーシティ
73 エリザベス
74 スクリーム(2002)
75 THE BATMANーザ・バットマンー
76 ゴーン・ガール
77 ファインディング・ニモ
78 search/サーチ
79 ブラックパンサー
80 レミーのおいしいレストラン
81 聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
82 ザ・フォッグ
83 ラストサマー
84 ボヘミアン・ラプソディー
85 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
86 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
87 ワールド・ウォーZ
88 ラブ・アゲイン
89 トゥー・ウィークス・ノーティス
90 28DAYS
91 デンジャラス・バディ
92 ザ・ロストシティ
93 ブラッド・ダイヤモンド
94 デンジャラス・ビューティー2
95 エクリプス
96 SWALLOW/スワロウ
97 ロブスター
98 レベル16 服従の少女たち
99 ミーン・ガールズ
100 アイランド
101 フォーカス
102 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
103 アントマン&ワスプ
104 キャプテン・マーベル
105 アベンジャーズ/エンドゲーム
106 ディパーテッド
107 マネーボール
108 メリダとおそろしの森
109 リトル・マーメイド
110 オーストラリア
111 ドリームキャッチャー
112 イコライザー
113 イコライザー2
114 アラジン
115 私ときどきレッサーパンダ
116 サイレンス
117 1922
118 サイトレス
119 邪悪は宿る
120 闇はささやく
121 アフターマス:余波
122 彷徨い
123 ティン&ティナ
124 エリア51
125 グッド・ナース
126 キラーナース その狂気を追跡する
127 オープンハウスへようこそ
128 呪われし家に咲く一輪の花
129 ペイン・ハスラーズ
130 SMILE
131 レプタイル
132 終わらない終末
133 ヴィーガンズ・ハム
134 ノクターン
135 エスケーピング・マッドハウス
136 呪われた老人の館
137 マッド・ハウス
138 僕と頭の中の落書きたち
139 シン・仮面ライダー
140 ラン・ラビット・ラン
141 アナと雪の女王2
142 エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
143 すずめの戸締まり(映画館で視聴)

ー再視聴した映画ー
144 マレフィセント
145 アヴァロン
146 スパイダーマン:スパイダーバース
147 ジョーズ
148 スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望
149 ヴェノム
150 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム
151 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム
152 ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ
153 イノセンス
154 モンスターズ・インク

2023年に読んだ本107冊

今年読んだ本をとりあえずリストアップしてみました。

こうして並べてみると少ないような気がしますね。

再読している本もあります。

特に面白かった本を10作品選んで色をつけました。


ハリー・ポッターと賢者の石  J.K.ローリング

ハリー・ポッター秘密の部屋  J.K.ローリング

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 下  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 上  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 下  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと謎のプリンス 上  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと謎のプリンス 下  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと死の秘宝 上  J.K.ローリング

ハリー・ポッターと死の秘宝 下  J.K.ローリング

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編  村上春樹

桐島、部活やめるってよ  朝井リョウ

イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 宇宙のしくみ  松原隆彦

少女が知ってはいけないこと  片木智年

遠慮深いうたた寝  小川洋子

無理難題が多すぎる  土屋賢二

きみの友だち  重松清

自閉症は津軽弁を話さない  松本敏治

学生時代にやらなくてもいい20のこと  朝井リョウ

アスピリンの恋―太宰治  太宰治

アッホ夫婦  ロアルド・ダール

世界でいちばんやさしい教養の教科書  児玉克順

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編  村上春樹

未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する  城ノ石ゆかり

降りてくる思考法  江上隆夫

小公女  フランシス・ホジソン・バーネット

不在論:根源的苦痛の精神分析  松木邦弘

日々是口実  土屋賢二

創造と狂気:精神病理学的判断の歴史  フレデリック・グロ

エマソン 自分を信じ抜く100の言葉  中島輝

波止場日記―労働と思索  エリック・ホッファー

図書室の海  恩田陸

双極性障害[第2版]  加藤忠史

ボッコちゃん  星新一

ユートピアだより  ウィリアム・モリス

双極性障害  マルク・マソン

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い  ジョナサン・サフラン・フォア

気分上々  森絵都

心に美しい庭をつくりなさい。  枡野俊明

年はとるな  土屋賢二

中庭のオレンジ  吉田篤弘

霊応ゲーム  パトリック・レドモンド

ザ・シークレット  ロンダ・バーン

ホ・オポノポノ ライフ  カマイリ・ラファエロヴィッチ

インナーチャイルドと仲直りする方法  穴口恵子

「あるがまま」を受け入れる技術  河合隼雄/谷川浩司

貧相ですが、何か?  土屋賢二

スタンフォード大学 マインドフルネス教室  スティーヴン・マーフィ重松

パスカル パンセ抄  パスカル

自閉症だったわたしへ  ドナ・ウィリアムズ

若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ  ゲーテ

ハードボイルド/ハードラック  吉本ばなな

神の子どもたちはみな踊る  村上春樹

大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる  貫成人

あるがままに生きる  足立幸子

哲学者にならない方法  土屋賢二

有限と微小のパン  森博嗣

走ることについて語るときに僕の語ること  村上春樹

クレイ  デイヴィッド・アーモンド

アメリカ短編ベスト10

発達障害の人が“普通”でいることに疲れたとき読む本

バーティミアス (3) プトレマイオスの門  ジョナサン・ストラウド

できない相談  森絵都

パン屋再襲撃  村上春樹

アーサー王伝説―7つの絵物語  ロザリンド・カーヴェン

ポー名作集  エドガー・アラン・ポー

TVピープル  村上春樹

ダレン・シャンⅠ  ダレン・シャン

一日10分の坐禅入門  高田明和

禅マインド ビギナーズ・マインド  鈴木俊隆

シャーロック・ホームズの冒険  アーサー・コナン・ドイル

めざめれば魔女  マーガレット・マーヒー

足音がやってくる  マーガレット・マーヒー

苦役列車  西村賢太

ドミノ  恩田陸

禅への鍵  ティク・ナット・ハン

ダレン・シャンⅡ  ダレン・シャン

双極性障害Ⅱ型という病  内海健

ルーパートのいた夏  ヒラリー・マッカイ

禅のつれづれ  鈴木大拙

ドミノin上海  恩田陸

シャーロック・ホームズの回想  アーサー・コナン・ドイル

檸檬  梶井基次郎

センセイの鞄  川上弘美

緋色の研究  アーサー・コナン・ドイル

あなたに似た人Ⅰ  ロアルド・ダール

あなたに似た人Ⅱ  ロアルド・ダール

アナザー  綾辻行人

魔法の声  コルネーリア・フンケ

夜の都  山吹静吽

螺鈿の小箱  篠田真由美

原稿零枚日記  小川洋子

夜のかくれんぼ  星新一

シャーロック・ホームズの生還  アーサー・コナン・ドイル

村上さんのところ  村上春樹

蜜蜂と遠雷  恩田陸

吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト  吉本ばなな

哲学と宗教全史  出口治明

鍵のかかった部屋  ポール・オースター

たんぽぽのお酒  レイ・ブラッドベリ

こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ  岡田淳

I Love Youの訳し方  望月竜馬

八月の路上に捨てる  伊藤たかみ

吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ  吉本ばなな

グリーン・ノウの子どもたち  ルーシー・M.ボストン

孤独論 逃げよ、生きよ  田中慎弥

2023/12/25

子どもにゲームをさせよう。

わたしは絵を描くのでたまに作業通話をさせていただくのですが、その人がよくゲームのお話をしてくれます。

わたしはゲームをやったことがないのでただ聞くだけなのですが、きっとお話している方はつまらないだろうなあと申し訳なくなります。

だって共感ができないですからね。「あそこおもしろかったよね」とか「ここ感動したよね」とか言ってくれる相手の方が話しがいがあるでしょうに……。

わたしは親がおかしな人だったので、子どもにゲームをさせないことを誇りに思っているような節がありました。

新興宗教にはまっていてお金をすべて吸い上げられていたので、お金がなくてゲームが買えなかったという理由もあるでしょう。

みんながゲームをしているあいだ、わたしは本を読んでいました。本は無料ですからね。たぶん図書室の本をほとんど読んだと思います。

低学年のころに本をたくさん読んだとして表彰もされました。100年くらい続いている小学校だったんですが、図書の貸し出し冊数が歴代一位だったらしいです。よく覚えてないですが……。

わたしが表彰されてから、毎年本を一番読んだ児童が表彰されるようになりました。みんなはその賞をもらうために図書室に殺到し、読みもしない本を借りて返してを繰り返していました。

子ども心に引いたのを覚えています。みんな必死になって何がしたいんだろうと不思議でした。

それから図書室で本を借りることに冷めてしまい(目ぼしいものはあらかた読みつくしたのもあり)町の図書館で本を借りるようになりました。

でも、みんなが必死になって本を借りていた気持ちがわかる気がします。

そのころのわたしは、特別支援学級に行くのが妥当なんじゃないかというくらい無口で異質で知性というものが感じられない動物のような女の子でした。

親がお風呂に入らせてくれなかったのでいつも不潔でした。会話も満足にできない、何も考えずぼーっとしているチビの女の子でした。

そんな頭の悪そうな女の子が全校生徒の前で表彰された。あんな子にできるのだから、自分にもできるだろう。表彰を狙っていた児童たちは、多かれ少なかれそう思ったのだと思います。

今の話からなんとなくわかるように、わたしはいろいろ虐待を受けていたので普通の家の子とはどこか違いました。(命に関わるような虐待はありませんでしたのでご安心を)

でも、今でも思います。あのころのわたしにゲームがあれば……と。わたし以外にゲームを持っていない子はいませんでした。

ゲームさえあれば、わたしも他の子どもたちに溶け込めたかもしれない。そこから大切なものを学べたかもしれない。友だちもできたかもしれない。

けれど、結果としてわたしにゲームは与えられなかった。そしてできあがったのがわたしです。

本を読み漁りその冊数を誇りにしてこんなブログをシコシコ書き、映画を観て批評家じみたことをして悦に入り、家族と断絶状態、まともな仕事をせず、子どもも残さずに死んでいく女ができあがったのです。

両親の前から消えたいと願っている子どもを作りたければ、思う存分虐待してゲームを禁止すればいいと思います。

すみません、ちょっと心の傷がうずいて言葉が暴れていますね。あまり幸せな子ども時代ではなかったんです。大目に見ていただけるとうれしいです。

まあそういうことで、ゲームに対する恨みといいますか憧れといいますか、アンビバレントな感情があるんです。

今からやればいいじゃんと思うでしょうが、あまり気乗りがしないんですよね。やってみようとは思うんですよ。思うんですけど、孤独にやるのもどうかと思うし、誰かとやるのもどうかと思うし。うーん。

でも、読書や映画よりゲームが面白いなら、ぜひぜひやってみたい気持ちはあります。世界中の人がやっているんですから、絶対におもしろいはずなんですよ。

それに、趣味のことでいろんなことを話してみたい……。ゲームならそれができますよね。

本を読んでいる人ってほとんど会ったことありません。それが悲しい。わたしもたまにはあの作家がどうだとかこの作品がこうだとか言い合いたい。

読書は孤独にやるものなので仕方がないことではあるでしょうが……。それにしても少ない。でも映画はけっこう観ている人がいるので、それは救いですね。

まあ、読書仲間がいない孤独はこのブログで紛らわせます。

もしこのブログを読んでいる人がいて、子どものゲームを禁止しようと考えているなら、よく考えてから決めた方がいいです。ひねくれて孤独な親嫌いの人間ができあがるかもしれませんよ。

今日はクリスマスです。欲しがっていたゲームをプレゼントで貰った子が世界中にいるでしょう。

子どものころ、もしわたしにゲームを与えられていたならどんな人間になっていただろう……。そんなことに思いを馳せながらひとりでチキンでも食べたいと思います。

2023/12/24

クリスマス・イブに考えること。

今日はクリスマス・イブ。

ある写真を見て、ふと疑問に思ったことがあります。

その写真は新宿の交差点で「キリストは人を罪から解放する」という看板を掲げた人を撮ったものでした。

「キリストは人を罪から解放する」。

あまりよく考えたことなかったけど、もしかして、人類ってすでに罪から解放されてない?

わたしがおぼろげながら覚えている新約聖書の内容はこんなかんじ。

イエスは人類の罪を背負って十字架上で死んだ。そして3日後に復活した。弟子たちに聖霊が降り、イエス=キリストの復活を伝えた。40日後にイエス=キリストは昇天し、神の座についた。

神の子であるイエスが死ぬことで、人類の罪が贖われた……。そういうことでしたよね? 間違っていたら教えてください。

それなら、「罪を解放する」と謳って宗教を信仰する意味とはなんでしょう。

あ、そうか。罪を許されたのは原罪だけで、そのほか生活する上で犯した罪は許されないということかな? だから規律を作りそれを守り、教会に通って信仰を新たにするのだろうか。

ふむ。いや、ちがう。

人類の罪は償われていない。だからまだキリスト教が必要なのだ。

ちょっとここからの話は原理主義的になります。あしからず。

人々がキリスト教を信仰する理由を乱暴にまとめて「神の国に入るため」と仮定します。

「神の国」とはなにもアポカリプスのあと人類が裁かれてから向かう場所だというわけではありません。「神の国」はわたしたちのあいだにある。その国に入るためにキリスト的生活をする。

これが人々がキリスト教を信仰する理由だと思うのですが、キリスト教のみなさん、どうでしょう? 合っていますか?

そしてわたしが考える「神の国」に入るとは、原罪のない状態になるということなのですが、どうでしょうか。

では原罪のない状態とはなにか?

まず原罪とは、蛇にそそのかされたエバが「善悪の知識の木」から実をとって食べ、それをアダムにも与えて神を裏切ったことです。

「善悪の知識の木」の実を食べたことで、人間は理性を持ち知る者となった。その点では神と同じになったわけです。

そして神は、食べると永遠に生きられる「命の木」までとって人間が完全に神と同じになることを危惧して、人間をエデンの園から追放しました。

神とは善悪を知る者であり永遠の命を生きる者。そして人間は善悪を知る者でありやがて死ぬ存在である。

それでは、エデンの園で幸福に暮らしていたエバとアダムが罪を犯さなかったらどのような存在になっていったのでしょう。

善悪を知らず自分が命あるものであることも知らぬ、幸福で満たされた生物だったのでしょう。この状態を望むか望まないか。それが、キリスト教を信仰するかしないかの分かれ目だと思うのですが、どうでしょう、的外れかな。

個人的な意見を言わせてもらうと、創世記は人類の罪の物語ではなく、選択の物語ではないかとわたしは考えます。

人間が世界から何を選択したのか。自然から何を選び取ったのか。

わたしたちは「善悪の知識の木」の実をとり、「命の木」の実はとらなかった。

知恵を得て、死すべき存在であることを選んだのです。

父である神は悲しんだでしょう。自分が作り出した可愛い人間が、自分で知恵を選択し死んでしまうことを選んだのですから。しかし選ばせたのは自分です。そして人間がそれを選んだからには変えることはできない。

父である神は怒りと悲しみにまかせて人間をエデンの園から追放しましたが、ことあるごとに人間を助け時に罰し、自分のところへ帰ってくるよう促します。

神はとうとう一人息子まで遣わして人間に神のもとへ戻ってくるように求めました。

わたしたちはいつでも選択できるのです。「神の国」に戻るか、このままでいるか。

それは選択の問題であり、良し悪しの問題ではない。人それぞれが選ぶべきものです。

こう考えると、なんだかおもしろいですね。

そしてクリスマス・イブにこんなことを考えているから、わたしはひとりぼっちなのでしょうね笑

2023/12/18

『エブエブ』と村上春樹。ベーグルとドーナツ。

エブエブに関する記事を二つ書きましたが、飽きずに三記事目書きます。『エブエブ』いまいち好きでない方は読まない方がいいです。

わたしは他人が書いた映画の感想は積極的に読みにいくことはしないのですが、『エブエブ』は少し気になってちらりと読みました。

アカデミー賞を何部門受賞したとかもそんなに興味はないのですが、批評家がどう評価しているのか気になって少し調べました。

この映画って『スイス・アーミー・マン』の監督の作品だったんですね! びっくり。あの映画もけっこうおもしろかったもんなあ。

調べたとはいっても検索上位にあがってくるものを少し読んだだけですが、酷評している人がいて信じられなかったと同時に、すこし納得しました。

わたしは『エブエブ』について書いた最初の記事で「村上春樹の小説はドーナツだと常々思っていたのだけれど、この映画はベーグルなんだな」と書きました。

この言葉が、この作品を絶賛する人と酷評する人が分かれる理由を説明していると思います。

たとえば村上春樹の小説って、全世界で評価されていますよね。わたしも一番好きな作家です。これまで生きている人間のなかで村上春樹がいちばん好きです。

けれど、あの小説をつまらないとかよくわからないとかエッチな小説だと思っている人が一定数います。

それというのも、作品が持つ力ゆえさまざまな人に拡散されたからだと思います。彼の作品を求めていない人にまで。

彼の作品を求めている人にとっては、彼の小説は唯一無二なのです。

彼の小説にはたくさんの不思議な要素がでてきます。TVピープルややみくろや羊男や綿谷昇などですね。そして不倫やセックスの描写もでてきます。

村上作品は意味不明とか不道徳だとか評価する人は、表面だけ読んでいるのです。

文章に書かれているいろいろな要素は周縁部にあたるのです。畢竟、作品の中核を成すのは「無」です。

そう、ドーナツです。村上春樹の作品の中心には穴があり、その無の空間には、読む者の心が映し出される。

だから、薄っぺらい人はその「無」に何も映し出されず「つまらない」といい、エッチなことが気がかりな人はエッチなことが映し出されて「エッチだ」というのです。

そもそも、村上春樹作品でなされる性行為はただのセックスではなく「儀式」に近いものです。異界と通じるために、人はそこをくぐり抜けなければならないことがある。

話が逸れました。

なにはともあれ、村上春樹の書く物語はわたしたちの物語でもあるんです。だから世界中の人が魅了されるのです。

混沌から本質を見出すことができる人は、村上作品に自分の人生の苦悩や希望が克明に描かれているように感じます。

彼らは自分のカオスな人生のなかに真実を探しています。深い苦悩があり、淡い希望を抱いている人々です。

村上作品への評価は自分に返ってくるのです。そしてそれは『エブエブ』にも言えます。

『エブエブ』を酷評している人の感想を読んでいて感じたのは、語彙が乏しいということと、アカデミー賞だから観たという人が多いということでした。

わたしの場合、良い作品に対しては言葉が少なくなり、悪い作品に対しては饒舌になります。良い作品は何も付け加えることができないからであり、悪い作品は論理的にどこが悪いのか指摘できるからです。

傘を手のひらの上に立たせたとき、傘が完全に立っている状態が一通りなのに比べて、傘の倒れ方には幾通りもありますよね。それと同じです。

なので、悪い作品ならきちんと理由が説明できるはずなのです。なのに評価が低い人は短い言葉で「意味がわからない」だの「下品」だの「寝た」だの言っています。

『エブエブ』を求めていない人たちにまで届いているのです。だから絶賛と酷評に分かれるのだと思います。

では、絶賛している人はどういう人たちか? それは、映画を真剣に観ている人です。そして混沌の中から本質を見出すことができる人です。

その証拠に、高評価レビューはきちんとした文章になっており知識が豊富です。過去作品からのオマージュがわかり、作品の本質を見抜いています。

ベーグルの中心に多彩で豊かなものが映し出される人。そういう人たちが『エブエブ』を高く評価しているのです。

奇抜な組み合わせ、目まぐるしい場面転換、派手なアクション、下品なアダルトグッズ。目が眩むようなカオスを見せられても、彼らはその向こうに隠された真実を感じ取ります。

言葉にならないことを書いたのが村上春樹。映像に映し出せないものを表現したのが『エブエブ』。

それぞれの中心には何もありません。そこに広がるのは「無」であり、そこに浮かぶのは自分自身です。

あなたは『エブエブ』というベーグルの中心に何を見出しますか?

そこに浮かんだもの、それが、あなたという人間です。

『エブエブ』をもう一度観た。

※ ネタバレありの感想です。

前回の記事を見てもらえればわかるように、昨夜『エブエブ』を観たわたしはおおいに感激し興奮していました。

一夜明け、その興奮はおさまるかと思われましたがそんなことはなく、今日も朝一番に再視聴しました。

ちなみに、昨晩の夢は『エブエブ』の世界観だった。『エブエブ』のわたしバージョンを見ているような。内容はよく覚えていないけれど……。

さて、一度観た映画はよっぽどのことがない限り再視聴することはない、と豪語していたわたしですが、このたび「よっぽどのこと」が起こり、めでたく再視聴する運びとなりました。

まさかなあ……。ネットフリックスに『エブエブ』が追加されたのはけっこう前だと思うのだけれど、こんなすごい映画をマイリストに入れたままにしていたなんて。

タイトルから「悟り」に関する映画だろうなと予想はついたので、「いまは悟りって気分じゃないからなあ……」と視聴を先延ばしにしていました。

予想のとおり「悟り」の映画ではありましたが、その予想をはるかに超える作品でした。

悟り×SF×カンフーアクション×家族愛という盛りだくさんの映画でしたね。

ところどころ日本のアニメの影響を感じた部分があり、そうなのかなと思ってWikipediaを読んでみるとやはりそうでした。

昨日はただただ圧倒されていただけでしたが、二回目の視聴で落ち着いて観られるようになりました。

税金の支払いという人間に課せられた苦しみが人生の悲哀を象徴する出来事として描かれていたところが面白かったですね。そこに目をつけたのは慧眼だと思いました。

税金とは、人類の文化的生活とは切っても切れないものです。有史以来、人間は税金を払い続け苦しめられ続けてきた。

ジョブ・トゥパキは生の虚しさに絶望し死を望みました。エヴリンもあわやそうなるかと思いましたが、同じ虚しさを感じれど、そこに希望を見出しました。むしろ生きることを選んだのです。

ふたりは同じベーグルを見ました。ベーグルとはつまり虚無のことではないでしょうか。

いつどこでなにが起ころうと「nothing matters」。

ジョブ・トゥパキとエヴリンがそれぞれに言う「nothing matters」が同じ言葉でも正反対の意味であることに気づきました?

なにをしても意味がない。もうどうだっていいというジョブ・トゥパキの投げやりな「nothing matters」。

なにをしてもいい。好きなことをやればいい。なにも気にしないというエヴリンの「nothing matters」。

陽と陰、正と負、プラスとマイナス、エヴリンとジョイがぶつかりあい、ゼロ=無限が生まれた。

重要な時間はほんのわずかにすぎない。その虚しさに押し潰されそうになったジョブ・トゥパキ。だからこそその時間を大切にしようと決めたエヴリン。

ひとつの家族の和解が宇宙を救った……。

はあ。すごいなあ。

とても驚いたのが、この映画、2時間20分あるんですね。

こんなに長いのにあっという間だった。本当に面白い映画は時間を感じさせないですね。つまらない映画は90分でも長いと感じるのに……。

他に良かったところでいうと……。

あのギョロ目のシールが伏線になっていて、第三の目を覚醒させたエヴリンを表現するものになるとは……。

悟りをひらいたエヴリンは天馬空を行くように、自由奔放に生きられるようになったのでしょう。

悟りをひらくとは何らかの不思議な能力を得るということではなくて、認識が根底から変わるというだけのことなのでしょうね。

だから、エヴリンは悟りをひらいても元の日常で普通に生きている。

だけどやっぱり変わったところはあって、それは自分らしく自由に生きられるようになった。愛する夫にキスをして、話を聞いていなかったら「失礼、今なんて?」と訊けるようになった。

エヴリンのようにどん底に生きる人が幸せになるには、少し考え方を変えるだけでいい。

受け入れられないものを受け入れ、世界を許す。

何も成し遂げられない自分に失望していたエヴリンはその失望を自分ではなく夫や娘に投影してぶつけていた。

だけど、その夫や娘を受け入れ許すことで、自分のことを受け入れ許し、そして世界を受け入れ許した。そうしたら、世界が、宇宙がエヴリンを受け入れて許してくれた。

悟りとはつまりそういうことなんだろう。たぶん。よく知らないけれど……。

ああ、おもしろかった……。

悟りとSFとカンフーアクションと家族愛をひとつの映画にぶち込もうだなんて、どこの天才が考えたんだろう。

あたまおかしいですよね。褒めてます。これは大いなる賞賛です。死ぬほどクレイジーってことです。

本当に感謝しかありません。

間違いなく『エブエブ』は映画史に残る作品となるでしょう。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想

わたしは……なにをみたんだ? え? 夢?

すっげえものをみた。まじで、すげえものみちゃった。

なんだ? まじでマルチバースをジャンプしたような気がするんだが。

これはわたしの好きな映画ランキングが入れ替わったぞ。

まじか……。こんな映画がまだ観れたんだ。

こんなふうに、心を抉り取る作品にまだ出会うことができるんだ。

映画を観て心底ひっくりかえることができるんだ。

891本観て、映画にマンネリ感じてて、映画への希望を無くしかけていたわたしの人生に、すげえものがぶっこまれた。

そう、これは間違いなく映画への希望だよ。

こんな面白い作品が、歴史に残る映画が作られ、そしてこれからも作られる。

わたしはこれからも面白い映画に出会うことができる。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はそれを約束してくれる福音だ。

わたしはなぜこれを劇場で観なかったんだ。

劇場で観なかった映画でこんなにも後悔した作品はこれがはじめてだ。

人生が変わった。

うん。人生が、自分のいる位置が少し変わってしまった。

いやあ。いやあ……もう言葉がでない。

観終わってすぐにこの感想を書いているんだけど、興奮冷めやらぬというか……。

だってさ、今のところ、もしかしたら……好きな映画一位になっちゃったかもしれない。

いや、早まるな。

いやでも、うん。なっちゃったかも。一位に……。

いやいや、観終わったばかりだから……。

うわ、もうすでにもう一回観たい。

ねえ、この映画を前にして、論理的に感想を書ける人間がいますか?

圧倒されて何がなんだかわかんないから、だれかわたしになんでもいいから教えてくれ。

頼りない夫への失望と尊敬、離れていく娘への想い、自分を見捨てた親/子への許し。

反発しあう母と娘、二人の衝突、宇宙規模の抱擁。その和解は宇宙の組成を変える。

観る人によって、この映画が映し出すものは違うだろう。

この目まぐるしく回る映画の中心にはベーグルのように穴があいていて、その虚空には何も無い。

その無の先に、人は自らの生と死、ひいては宇宙を観る。

ベーグル……。

いうなればこの宇宙はベーグルで、この映画は小さなベーグルなんだ。

そうか……。

村上春樹の小説はドーナツだと常々思っていたのだけれど、この映画はベーグルなんだな。

わたしはドーナツとベーグルが好きみたいです。

いやあ、まじで、この映画が作られる世界にいられてよかった。

幸せだ。

本当にありがとう。

良い作品を観たら言葉をなくし、ただ感謝することしかできない。

2023/12/16

映画『アナと雪の女王2』感想

※ ネタバレがありますのでご注意ください。

ううっ……。泣いちゃった。やっぱりディズニーはいいなあ。

なぜ今更この映画を観たかというと、最近お話させていただいた方が教えてくれたことがあって……。

それというのも『シュガーラッシュ:オンライン』『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』は「別れの物語」だというのです。

『シュガーラッシュ:オンライン』と『トイ・ストーリー4』は観ていたので「なるほど」と感心してしまいました。それで観るつもりはなかった『アナ雪2』を観てみたわけです。

基本的に映画作品の二作目ってあまり期待しておらず鑑賞を後回しにしがちだったので、良いきっかけでした。

三作品はそれぞれ2010年代のおわりに立て続けに公開されていますね。『シュガー・ラッシュ:オンライン』は2018年、『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』は2019年。

今回『アナ雪2』を観て、ディズニーの一時代が終わったことを感じさせられました。「End of an era」とでもいいましょうか……。

それを教えてくださった方とその話をしていて失敗したなあと思ったのは、ちょっとした失言をしてしまって……。

わたしは何が終わって何が始まったんだろうと思って、自作の映画年表を見てみたんですね。

そうしたら、2020年代最初の作品は『2分の1の魔法』、それに続くのが『ソウルフル・ワールド』『ラーヤと龍の王国』でした。

それでわたしは考えもせずに「ああ、ディズニーポリコレの時代がはじまったんですね!」とポロリと言ってしまって……。

ディズニーが好きな人になんてこと言うんだと自分を責めました。

しかもわたしは『ラーヤと龍の王国』しか観ていないのにポリコレと決めつけるなんて……。

わたしの悪いところは、たくさん作品を観ていることを鼻にかけて断定的に評価することですね。

まあわたしが狭量で性格が悪いのは、それはそれで仕方ないことです……。でも、誰かの好きなものに対してポリコレと決めつけるのは本当によくないなと反省しました。

さて、『アナ雪2』の感想ですが……。

まずご了承いただきたいのは、わたしはディズニーを観るときは精神年齢9歳になっています。

なので9歳らしく自分の感性に素直に従い褒めたり貶したりします。あしからず。

それではアナ雪2の感想を申し上げますね。

まずね、思ったのは、「エルサの衣装すてき~~!」でした。

最初に着ていた濃い紫の衣装、そして旅装束、そして最後の白いドレス。ぜんぶ素晴らしくすてきでした。

やっぱりディズニープリンセスの衣装は世界中の女の子がバースデイやハロウィンに着たくなるようなものじゃなきゃね!

エルサに比べると地味なアナの衣装も北欧らしい素朴さでめっちゃかわいかった……。紅葉の森と色合いがマッチしていてよかった。

そして、姉妹がお互いを信頼し合うようになっていて心があたたかくなりました。

危うげがなくなりましたね。エルサはアナを頼り、アナはエルサを支えようとする。

前作でアナは能天気ハッピー無鉄砲な子だったのに……今作では危険に飛び込むエルサを止めようとしていて、成長を感じられました。

エルサも丸くなって雰囲気がやわらかくなりましたね。ちょっと内気なところが相変わらずでかわいい。ジェスチャーゲームが下手くそでハンスに辛辣なところがキュンとしました。

クリストフはねえ……。いいやつなんだけど、ちょっと空回りしていましたね笑。

9歳のわたしが途中で飽きちゃったところがあって、クリストフが姉妹に置いていかれて歌っているところですね。あそこは中だるみした部分だと言っても仕方ないでしょう。おもしろかったけど。

あれってちょっと昔のアイドル歌手のバラードMVのパロディなんでしょうけど、そんなの9歳にわかるかい! と思いました。

でもクリストフのまともな歌唱パートはあそこくらいだったので許しましょう。

それにしても、やはり「別れ」がテーマである以上、すこしだけさみしさを感じるエンドでしたね。

ダムが崩壊し閉じこめられた魔法の力が開放されエルサも氷から解放されたとき、アートハランにいたはずのエルサが突如水中からアレンデールにあらわれました。

どうやってアートハランからアレンデールに来れたのか考えると、つまりエルサは完全に精霊になってしまったということですよね。水の精霊である馬が神出鬼没なことを考えるとそうなります。

エルサは人間から精霊に生まれ変わってしまったために、人間の国であるアレンデールをアナに譲り、より精霊に近いノーサルドラの森に住むことにした。

仲のよかった姉妹が離れ離れになってしまった……。だけど、アナは女王としてより成長できるだろうし、今まで女王という重責に耐えてきたエルサは人間という枠を超えて真に自由に世界を飛び回れる。

そして姉妹の愛が人間と精霊をつなぐ架け橋として、世界を平和へと導く……。The End.

これでよかったんだ……という終わりでした。

ディズニーもプリンセス頼りのいままでのやり方から抜け出し、プリンセスの呪縛から解放されたかったのかもしれない。

プリンセスは魅力的だし求められているものだけれど、ディズニーがプリンセスのバリエーション展示会場になったら確かに味気ないです。

プリンセスという枠に捕らわれず、いろんな世界を表現してみたかったのかもしれませんね。

ディズニープリンセス映画の金字塔エルサは、プリンセスから女王になり、そして精霊になりました。

プリンセスから解き放たれたディズニーが何を作ったのか、ちゃんとこの目で確かめないといけませんね。

ポリコレといって敬遠せず、9歳の視点でちゃんと最近の作品を観たいと思います。

ドラマ『モダン・ファミリー』感想

※ ネタバレがあるのでいやな人は読まないでくださいね。

わたしは食事をするとき海外ドラマを観ます。

ドラマならなんでもいいというわけでもなくて、コメディをできるだけ選びます。

やっぱり食事中なわけですから、あんまりハラハラしたりグロかったりすると支障がありますからね。

一時期『ゲーム・オブ・スローンズ』を食事中に観ていましたが、これは食事中に観るドラマではありませんでしたね。ご覧になった方ならわかるかと思いますが……。

アニメでもいいんですが、アニメは集中して観たいのであまり食事のお供には選びません。

やっぱり海外コメディドラマが食事には一番向いているかなと思います。割と上品だし、ゆるい雰囲気だし、おもしろいし。

というわけで、『モダン・ファミリー』全11シーズン観終わりました。二周目です。

シリーズが始まってから終結まで10年以上。登場人物があんまり老けていないのが驚きだけど、やっぱり老いというものはあってなんだかしみじみしました。

リリーとかジョーとか赤ん坊だったのにあんなに大きくなっちゃって……。ドラマのなかで子どもの成長が見られるってすごいことですよね。

リリーがあんな美人に成長するとは思っていなかった。ジョーもイケメンに育ちそうだし。

わたしが好きなキャラはアレックスです。演技がかわいいですよね。男性に褒められたとき澄ましながらも挙動不審になるところがかわいすぎます。

アレックスは憧れの教授といいかんじになって本当に良かった。教授がヘイリーと付き合ったときはアレックスがかわいそうでならなかったので……。終わり良ければ総て良し!

ヘイリーはアンディとくっつくかと思いきやディランとくっつきましたね。まあヘイリーらしいといえばヘイリーらしいですが。

実はわたしには嫌いなキャラがいて、そのキャラというのがフィル・ダンフィーなんですよ。メイン中のメインキャラ。出番が当たり前に多くて辛かった。

フィルの俳優さんって悪魔のような見た目をしていると感じてしまいます。真っ黒い剛毛、太い眉、尖った耳、いたずらっぽい目。

ADHD的な行動も軽薄な思考もキライです。コメディドラマに何言ってんだってかんじですが。それがなきゃコメディでもなんでもないですよね。でも生理的嫌悪感があるんです。

まあ見たくもないほど嫌いというわけではないのでおとなしく観ましたが……。

なにはともあれ無事に観終わることができました。

次に観るドラマをまだ悩んでいて、とりあえず『となりのサインフェルド』を観ています。

わたしは基本的に一度観た映画はよっぽどのことがない限り観ません。だけどドラマは違っているみたいです。一度観たものをもう一度観たくなる。

『ビックバン★セオリー』を観たいけど配信されていないからなあ。DVD買おうかな。

『ビックバン★セオリー』はアマプラで配信終了間近に観て、あまりにおもしろくて観終わったあとすぐに二週目に突入して根性で観終わったという経緯があるくらい好きです。

とりあえず配信されていてすぐ観れるものだと『ブルックリン・ナインナイン』か『ママと恋に落ちるまで』で迷っています。どっちも好きなんだよなあ。

うーん。うーん。

『ママと恋に落ちるまで』かなあ……。いやでも『ブルックリン・ナインナイン』も捨てがたい。

仕方ない。しばらく迷います。

2023/12/15

趣味の小説が160万字いった。

10年間書き続けて160万字。

長すぎるよ……。これだけ巨大に膨れ上がった物語、わたしの手に負えるのだろうか。

いや、絶対に終わらせなければならない。

この物語が終わらない限り、わたしの人生は始まりもしないし終わりもしない。

あと五日間の出来事をかけば終わる。あとすこし、あとすこし……。

しかし小説は、毎日少しずつ進めればいいというものでもない。

まったく書けなくて一か月過ぎることもざらにある。

けれど、今日は久しぶりに進めることができた。

たった3000字だけど、わたしにとってその意義は大きい。

おそらく、小説を書けなかった一か月のあいだ、せっせと本を読んだことが小説の進展に寄与したんだろう。

わたしは昔から考えていることがある。

これはひとつの自論なんだけれど、インプットとアウトプットについて。

わたしの場合だけれど、「100のインプットに対して、1のアウトプットしかできない」と思う。

例えるなら、本を100冊読んだら1冊分の文章が書けるということ。

これを発見したのは小説を書き始めたころ、50万字書いた時点でぷっつりと書けなくなってしまったときだった。

わたしは昔から読んだ本を記録していたのだけれど、小説が書けなくなったとき、読んだ本がちょうど500冊になっていた。

一冊の平均が10万字だとして、500冊だと5000万字インプットしたということ。

その100分の1である50万字の時点でアウトプットができなくなった。

わたしは小説を書くとき読んでいる本の文章に引っ張られてしまうので、読書をやめていた。

書けなくなってからは意識して本をたくさん読み、無事に続きを書くことができた。

この100分の1の法則、けっこう当たっていると思うなあ。

現時点で1000冊インプットしているので、10冊分のアウトプットができているというわけです。

60万字上乗せされているけれど、それは映画や漫画、ネット小説のインプットの分。

だけどこの100分の1の法則、天才の場合はちがう。天才は50の入力で1の出力ができると思う。

大学時代に天才の友人がいて、その能力の違いに愕然としたものです。

こういうふうに、人によって100の部分が150になったり10になったり違うだろうな。

少ないインプットで多大なアウトプットができることを一言で言うと「才能」。そしてアウトプットの質がいい人を「天才」と呼ぶ。そういうことになりませんか?

そして天才であるためには良質なインプットが必要で、たとえ悪いインプットだろうと良いアウトプットに変換できる能力が備わっていること。

「才能」や「天才」を部分的に説明するならこんなかんじなのかなあとわたしは思っております。他にもひらめきやアナロジー等の要素があるでしょうが。

わたしはわりと漫然とインプットしていたから100だけど、きちんと体系立てて意識してインプットしたならもっと効率よくアウトプットの量を増やせると思う。

この法則、もっと単純にIQの違いに置き換えてもいいかもね。

IQが高ければ学習能力が高い、ってそれだけのことなんだけれど。

わたしは残念ながら稀代の天才というわけではないけれど、天才に追いつく方法はちゃんとあると思う。

それはやっぱり続ける能力。

わたしの知っている天才は続ける能力がまったくなくて、結局堕落してその才を十分に発揮できなかった。

うさぎとかめの物語って含蓄に富んでいますね。

かめのように遅かろうが諦め悪く続けていれば、わたしの書いている物語にもいつか終わりがくるでしょう。

未来は明るい。

2023/12/14

映画『ヴィーガンズ・ハム』感想

※ ネタバレいやな人は読まないでくださいね。

この映画を観終わった瞬間、「悪趣味すぎる……!」と崩れ落ちました。

これ、笑っていいんですか? ブラック・コメディとは言ってもヤバイでしょ。

この映画を観たヴィーガン、怒り狂うんじゃないですか? ヴィーガンはフランスでこれだけ憎まれているんですか?

この映画を観て笑ってしまったと言ったが最後、サイコパスのレッテルを貼られそうで恐ろしくて何も言えないのですが……。

このブラックさを許容できる人はわたしの周りにはいないかもしれません。まあ孤独なので人自体いないのですが。

これ、正直に認めていいのかな……おもしろかったって……。いや、だめだろ。この映画はだめでしょ……。

でもなあ。わたしのなかのブラックなわたしが、「この映画がヴィーガン界でどのように扱われているのか知りたい」と思ってしまう……。

意外とヴィーガンって心が広い印象もあるから、笑って受け流しているのかもしれない。どうなんだろう。

そうだよ。日本に届くくらいヒットしたフランス映画ってことでしょう? 相当人気で評価も高かったのでは……?

うーん。

とりあえず、下手なこと言わない方がいい気がする。

この映画の感想はこれで終わりです。

おわり! 解散!

映画『終わらない週末』感想

※ ネタバレいやな人は読まないでくださいね。

先月と今月はあまり映画を観ていませんでした。

ひさしぶりに観た映画がネットフリックス制作の『終わらない週末』。

なんとジュリア・ロバーツが出ていました。最近のネットフリックス映画は出演陣が豪華で驚きです。

わたしはちょうど一年前に突然ホラー映画を観られるようになりました。今までは苦手で避けてきたのですが……。何がきっかけだったのかはよくわかりません。刺激が少ない日々だったからかもしれない。

それから今まで観られなかった分を取り戻すようにせっせとホラーやサスペンス映画を観まくりました。

だからなのかもしれませんが、ネットフリックスやアマプラがホラーやサスペンスばかり勧めてきます。

この『終わらない週末』もネットフリックスがオススメしてくれました。

最近のネットフリックス映画って、映画の撮り方が上手いのか下手なのかわかりませんね。

驚かせ方は芸術的なくらい上手なんですよ。びっくりしたいところできっちりびっくりさせてくれる。しかも、意表をついて驚かせてもくれる。ツボをおさえた怖がらせ方。そこは気持ちがいい。

この驚かせ方が上手いものだから、観ている最中や観終わったあとは「おもしろかった」という感想になる。

だけど、冷静に映画を振り返ってみると、驚かせることに比重が偏りすぎていてとってつけたようなシーンが多い。

「これ、画面的に面白いから脚本に捻じ込んだだけでしょ。まあ強烈なシーンだからいいけどさあ……」というような場面が多い。

面白い絵を切り貼りした映画、つまりチグハグなんですよね、全体の流れを見たときに。だけどシーンのつなぎや説得力の持たせ方はそれなりに上手いから映画を観ている最中はごまかされてしまう。

最近のネットフリックスのホラー/サスペンス映画って、こういう傾向がありませんか?

この映画でいうと……たとえばスコット親子の描き方。

意味深な回りくどいセリフを言わせたり、思わせぶりなことをさせたり。

「この親子に何か秘密があるのでは?」という謎が序盤を引っぱっていくわけですが、結局この親子も巻き込まれただけというオチ……。

これじゃあただの性格の悪いめんどくさい親子になっちゃいます。まあそれでいいんでしょうけど……。

それと、アマンダの夫が道に迷っているときに突然あらわれたスペイン語を話す女。あれ誰? なぜあそこに? 納得のいく説明を思いつかない。誰か教えてください。

あと、G・Hが浜辺で飛行機が墜落した現場で死体を見つけるシーン。あれおかしいでしょ。浜にたどり着いた時点で気づくでしょ。

それに、動物のシーン。鹿やフラミンゴのことですね。すごく印象的でCGにも金がかかっていそうですが、あれ必要ありました?

シーンとしての印象は強く、あの映画を象徴するシーンと言ってもいいですが……なんらかの人為的な攻撃で動物があんな挙動することあります?

いやいや、ここは冷静になっちゃいけないのか。だけどなあ……マジでおもしろい映画って、こういう理屈をさしはさむ余地がないくらいおもしろいから……。

こんなことをツラツラ考えさせてしまう時点で、この映画がそれなりの映画ということになりませんか。

でも個人的に『フレンズ』が大好きなので最後のオチですべて許せました。

まじかよ、『フレンズ』にすべてを丸投げすんのかよ……。まあ『フレンズ』はおもしろすぎるのでよし。

『フレンズ』はシーズン10まであるにもかかわらず三周しましたもん。

「The Last One」をたしかに『フレンズ』ではグランドフィナーレって訳してた気がする。

三章がはじまったとき、「なんでグランドフィナーレなんだ?」と思ったのですが最後で納得しました。

ふむ。それにしても、どうしてこの映画が気に入らないんだろうと考えたとき。

その理由は、感情移入できる登場人物がいないからではないかと思います。

だって登場人物全員、性格悪い。この映画でだれを応援すればいいでしょう?

まあ、最後には全員不幸になるわけですから、感情移入なんてしないほうがいいんでしょうが……。

ああ、だからか。バッドエンドだから、感情移入できる登場人物を置かなかったのか。

そう考えると、これだけ性格の悪い人間を見させられながら、最後まで映画に付き合わせる技量にはあっぱれと言うしかないかもしれませんね。

ネットフリックス映画は、監督も脚本もやっつけ仕事というか、だからこその勢いが生まれていてそれがけっこう好きなので、どんどんやってほしいですね。

2023年に読んだ本、100冊になりました。

現在12月中旬ですが、無事に今年読んだ本100冊突破しました。

あと数冊読めば100冊に達するということに気づいてから、落ち着いて読書ができなくなりました。

なので、こうなったらさっさと100冊読破しようと決め、すぐに読めそうな本を見繕ってどんどん読んでいきました。

普段なら手に取らないであろう本を読んだので、新鮮な気持ちになることができました。

読書をはじめたころは、作家や自分の好みなんてわかりませんから、目についた本を手当たり次第に読んでいきました。そのころの気持ちがよみがえって、なんだか懐かしくなりました。

それに、期限がついているというのはいいですね。

わたしは普段、締切や期限などない生活をしているので、これもまた新鮮でした。

締切や期限があると、普段の自分にはない力が出せますね。ちょっと気持ちは焦りますが、最短距離でゴールに行こうと工夫するので、新たな道を見つけられました。

だけど、急いで読書するというのは一年に一回くらいでいいですね。それか、もう一生なくても構わないくらいです。

気持ちが焦っているせいで良書センサーが機能しなくなる……というか、機能はしているけれども司令塔の方がそれを却下してしまう。

そして、普段の自分なら読まない本を選んでしまう。選択基準はすぐに読めそうなくらい薄いかどうか。

ちょっと豊かとは言い難い。

読書はわたしにとって食事と一緒です。自分に贅肉をつけるために読書するのです。

豚に飯を詰め込むようにする食事=読書は人間らしいとはいえませんね。反省。

これからの読書は、真に滋養のある読書を目指します。数はこなさなくてもいいから、本当に読みたい本を読みます。

実は最近読んだ本で一冊、「これはひどい」と思ってこのブログでこき下ろした本があるのですが、「この本を好きな人を傷つけるかもしれない」と思って無難な記事に書き直したものがあります。

あんなひどいことを繰り返さないためにも、これからは良書センサーの導きのままに本を選ぶことをここに誓います。

来年はどんな本を読むのかなあ。

そうだ。溜まっている読みたい本リストを片付け始めよう。

積読にも手をつけよう。

年が明けた一月には、ハリー・ポッターシリーズを読もう。これは恒例化しようと思っていて、今年から始めました。来年は併せて映画も観るつもりです。

そういえば、このブログも続けていかないとなあ。書くのが面倒くさいような、そうでもないような、不思議な心地です。

まあ、続けられるなら続けていきます。

なにはともあれ100冊達成したので、これからはゆっくり本を読みます。

はあ、つかれた。

#1012 田中慎弥『孤独論 逃げよ、生きよ』感想

田中慎弥は『共喰い』しか読んだことがありません。

この人って芥川賞受賞の際、未熟で痛々しい反抗的な態度を取っていたのをニュースで取り上げられてましたよね。共感性羞恥というのか、なんだか見ているこっちが恥ずかしくなってしまいました。

その印象が強く残って、逆にこの人はどんな小説を書くんだろうと思って読んでみたのが『共喰い』を読んだきっかけでした。

「へえ。ひねくれた中学生がそのまま大人になったみたいな態度とっていたけど、小説はけっこう尖ってるじゃん」と思ったような気がします。

いじめられていた子どもが成長することができずにグロテスクな大人になってしまったのかなあと思って小説もそうだと思っていました。

ですが作品は、意外にもちゃんと純文学で暴力的で救いがなくてけっこうおもしろかった記憶があります。

なにしろ『共喰い』を読んだのがずいぶん前なのであまり覚えていませんが。

でも、なんだかもったいないなあ。

たぶん面白い小説を書く方だと思うんですけど、あの授賞式のときのひねくれた顔と言葉が強烈に頭に残っていて、それに意識がひっぱられちゃうんですよね。

「受賞しといてやる」とかなんとか言い放ってましたよね? 全方位に喧嘩うってんのか? とびっくりしました。嫌悪感も多少ありました。

だから小説を読もうにも、出発点があの人の虚勢を張っているようにしか見えない無様な態度なんです。

まあ皮肉にも、無難な態度だったらわたしはこの人の小説を読まなかったでしょうが。

経歴も興味深くて、芥川賞を受賞するまで無職引きこもりだったとのこと。なので、作家の人生も面白そうだなあと当時思いました。

ですが自分から探索するほどの興味とはいえず……。今になって図書館の本棚で見つけたので手に取ってみました。

文壇から追い出されないかなと心配していたのですがそんなこともなく、名のある賞をいくつも受賞していて感心しました。

ですがこの本は、期待していたほどには尖っていなかった。拍子抜けしました。むしろ陳腐だと感じました。

あとがきで「口述筆記によって作られた」とあったので納得。話す言葉と書く言葉って、まったく違いますものね。思考や人格まで変わると思います。

しかもこの人はスマホどころかパソコンも持っておらず、原稿は原稿用紙に鉛筆書き。慣れた手書きと慣れない口述筆記なら、多少は書くものにも違いが出てくるでしょう。

それにしても、なぜかこの人はマイナスの評価からスタートしてしまうなあ。

それを覆してくれたのが『共喰い』だったけど、この『孤独論』は悪い意味で期待を裏切られた。

「あんな大口たたいてたのに、こんなもんか」と正直思ってしまいました。

『孤独論』の中で「仕事で相手を黙らせる」と豪語していたので、本業の作家の方ではきちんと黙らせてくれるのでしょうか。

田中慎弥ねえ……。これから読むかどうか……。うーん。保留ですね。

わたしは生身の作家が書いていることを作品に感じてしまうと興ざめしてしまいます。

作家の顔を写真で見てエッセイを読んで私生活の片鱗を知っていたとしても、本当に上手な作家は作品に自分の存在を一切感じさせません。むしろ文章を読んでいることを忘れさせる。

だけどなあ。田中慎弥の場合は、作者が机に向かって鉛筆でかりかり原稿用紙に書いているところがありありと想像できてしまって……。

もし良い作品だったとしても、「あの世間知らずそうな眼鏡のヒョロガリにこんな作品書けたんだ……」という意外性の驚きになってしまう。

やっぱりあの授賞式は悪手だったよ……。だって、十数年経ってもこんなふうに言われるんだもん。

田中慎弥のファンは「悪口を言う前に作品を読め」と言うかもしれませんが、わたしのようなミーハーな人間にはそういう印象を抱かれても仕方ないくらい、鮮烈な映像だったんです。

でも、ちゃんと作品を読めば評価が変わるかもしれない。

機会があったら他の作品も読んでみようかな。

#1011 ルーシー・M.ボストン『グリーン・ノウの子どもたち』感想

全6巻の『グリーン・ノウ』シリーズがあるみたいですね、この本は。

続いているからには面白いんだろうと思って読んでみました。

すばらしい小説だとは思いますが、わたしの好みからは少し外れていたかな……。わたしはちょっとだけ毒のある小説が好みです。

でも古典の児童文学(『秘密の花園』とか『小公女』とか)を読んだときのような爽やかで綺麗な読後感を味わうことができました。

ただ、例にあげた小説を読んだときのような圧倒的読後感というよりは、ささやかな良さを感じる読後感でした。

登場人物がみんな良い人ばかりなんだよな。主人公のトーリーは七歳なのに素直でいいこだし、ひいおばあさんのオールドノウ夫人も理想のおばあさんだし。悪人も出てくるけど、昔話のなかのことだし。

舞台となるグリーン・ノアもいいところで、大雨が降ると屋敷の周りが水に沈んで、ボートを漕いで屋敷にいくんです。素敵ですよね。

聖クリストファーの巨大な石像もロマンがあって素敵だし、動物のかたちに刈り込まれた木々も素敵。

男の子の憧れである剣や馬なんかもでてきて、孤独だったトーリーが生き生きとしているところを見るとわたしも嬉しくなりました。

ただ、わたしの注意が散漫だったからか、人物の続柄がよくわからなかった。誰が誰のおじいさんでおばあさんなんだ? という戸惑いが終始ありました。いまでもよくわかっていません。家系図がほしいな。

土地の名前と屋敷の名前もごっちゃになってしまって、何がグリーン・ノウでどこがグリーン・ノアなの? となってしまいました。きちんと読み込めばわかるのでしょうけれど、そこまでする気力がなくて……。

トーリーがかわいいので続きを読んでもいいかなあと思ったのですが、うーん、ちょっと保留ですね。

わたしは児童文学の好みに関しては、割と極端というか……。

思いっ切り古典か、思いっきりエンタメか。どちらかに振り切っているのが好きなんです。

例をあげると、古典ならワイルド『幸福の王子』とかディケンズ『クリスマス・キャロル』とか。エンタメなら『ダレン・シャン』とか『バーティミアス』とか。

なので、すばらしい小説なのに『グリーン・ノウの子どもたち』はわたしの好みからは残念ながら外れていました……。

でも、誰かの大切な思い出になりそうな本だなあと思ってあたたかい気持ちになりました。

きれいな気持ちに浸りたい人にはおすすめの本です。

2023/12/13

#1010 吉本ばなな『吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ』感想

『吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト』に続き、『吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ』を読みました。

オカルトもよかったけれど、ラブもよかった。どちらかというとラブの方が好みかもしれない。

よしもとばななの描く恋は、死ぬほど切実な恋なのに、どこか空気の抜ける穴があってそこを風が吹いてるようなかんじがいい。

不倫や別れや不幸な生い立ちの男との恋を描いているから暗い話になりそうなものなのに、どこか薄明るくて風通しがいいから息苦しくならないんだよな。

あとがきでよしもとばななも大恋愛をしたと書いてあったので、よしもとばななの恋愛ってどんなものなんだろうと想像してみたり。

彼女の描く小説のような恋なのかな……。そうだとしたら楽しそうだし苦しそう。

ラブを描いた作品とはいっても、どこかオカルトチックになるのはよしもとばなならしさなんだろうか。

オカルトチックといっても、予知夢だったり予感だったり、そういうことだけれど。

とくに「ハネムーン」には宗教絡みのおどろおどろしい描写があり、そのおぞましさに背筋が冷えた。

けれどそういう残酷さにすらどこか温かみを感じるのは、よしもとばななの世界の見方がそうであるからなんだろうか。

これをオカルトとくくってしまうとちょっと野暮かな?

わたしは小説の気に入った一節をノートに書き留めているんだけれど、この本にも書き抜きたいところが見つかった。

「白河夜船」の一節で、不倫相手といっしょにいるときに「夜の果て」を見ることがある、という箇所。

ふたりでいることの孤独が美しく描かれていて好き。

ふたりでいると幸せなのに、そこに必ず悲しみが含まれていて、悲しみがあるからこそ愛が光る。

そういう感覚をわたしは知っていると思う。

オーストラリアで一年間だけの恋をしたことがあって、その思い出はわたしの唯一の美しい恋の思い出として残っている。

恋した相手は60歳のおじいさんだったので、なおさら別れの予感が色濃かった。

わたしが日本に帰るからという距離だけの別れじゃなくて、彼がわたしよりも早く死ぬだろうという死の予感が常にある恋だった。

彼が一度冗談でよぼよぼのおじいさんの真似をして、それがおかしくて笑い転げたんだけれど、次第に涙が出てきて、彼が悲しそうに慰めてくれたのを思い出す。

よぼよぼの彼を見て、彼が死んでしまうことが現実として迫ってきて、涙がでたんだと思う。

わたしは勉強熱心じゃなかったので英語に不自由だったのだけれど、彼とはなぜか通じあうことができた。

オーストラリアの浜辺に寝転び、二人で深く冷たい海を泳ぎ、陽のさんさんとあたる庭で笑いあった。

あまりにも似た者同士だったわたしたちは、期限付きの恋だからこそ安心して相手を受け入れることができた。

わたしが日本人だから、彼がオージーだからこそ、あんなに気負わずにいられたんだと思う。

今でも数年に一度彼からメールがくるけれど、一度も返したことはない。

あのときあの場所でしか、わたしは彼と恋ができなかった。

死を近くに感じる恋は後にも先にもそのときだけだろうな。

よしもとばななの小説は、生活のすぐそばに、恋のすぐ隣に死がある。

この小説は、わたしにもそういう恋の経験があったことを思い出させてくれた。

2023/12/12

#1009 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』感想

期待せずに読み始め、可もなく不可もなく読み終わりました。

芥川賞受賞作だけあって上手だなあと感心しました。

ただ、わたしは男性の生まれ持った楽観主義や無意識の下心が個人的に嫌いなので、そこは刺さらなかった。

敦が水城さんに対して心のどっかで期待していたことが透けてみえて、浮気してるのに何様だと思ってしまいました。

敦だけじゃなく、どっかの営業所のセクハラ男性の水城さんへの歪んだ好意も不快だった。

女を玩具のように扱って、それを可愛がっていると勘違いしている男たち。

自分に気安く接する女は自分のことが好きなんだという無邪気な無意識の信頼。

自分の周りにいる女の評価の判断基準は、自分とのセックスを受容してくれるかどうか。

それで女にパートナーがいたら、自分の心を守るために何も感じていなかったふりをする。

単純すぎてつまらない男の心理。

まあ、こういう嫌悪の感情を抱かせるのも作者の技量だと思うので、心置きなくその仕掛けに乗っておきます。

表題作以外の短編がもうひとつありましたが、こちらも刺さりませんでした。

個人的に、女が生まれ持っている狂気やそれを当て付けのように配偶者にぶつけるのが嫌いなので。

鮎子は回りくどいんですよね。狂気なら狂気らしくまっすぐ発狂すればいいのに、あくまで生活に根ざした狂気の発露の仕方。

それに振り回される周囲はうんざりですよ。純粋な狂気ならまだしも、不純物が混ざった狂気なんて生臭くて目も当てられません。

女の狂気は、本物以外はどこかで醒めているんです。ただ配偶者に罪悪感を抱かせたいから発狂するんです。どこかに打算が含まれている。

まあ、この嫌悪はわたしの経験をこの小説の出来事に過剰に当てはめた結果でしょう。

なにはともあれ、どちらの短編もわたしが個人的に嫌っていることを描いた作品でした。

こういう人間の嫌なところを微妙な塩梅で描写するのが作者の強みなんでしょうね。

この作品で描かれたような、「忘れがちだけど人間ってこういう嫌なところあるよなあ」という部分。

それをさりげなく見せられて、嫌悪の感情をそこはかとなく思い出して、なんとなく嫌な気持ちにはなったけれど、そこまで感情をかき乱されない。

上手い具合に舵取りができていて、そういう作者の冷静さには安心して身を預けられました。

文学というのはこうでなきゃなあと思い出した作品でした。

でもなあ。

心は子どもなので、わたしは夢や憧れを描いた作品や小奇麗な作品が好みです。

だけどもういい年だし、こういうほろ苦い情景に感じ入るのもたまにはいいかもしれません。

2023/12/08

#1008 望月竜馬『I Love Youの訳し方』感想

うーん、残念ながら、not for meでした。

でも素敵なコンセプトでしたね。

わたしだったら「I Love You」をどう訳すかなあ。

ちょっと捻りたいですよね。

「きみのオムツを変えたい」かな。

きみを産みたかったという意味と、きみが年をとって糞尿を垂れ流すようになっても傍にいたいという意味です。

けっこう大真面目に言っています。

ものすごく年上の人と付き合っていたとき、本気でそう思っていました。

実現することはなかったですが……。

なにはともあれ、人それぞれあると思うので、自分なりの「I Love You」を見つけたいですね。

#1007 岡田淳『こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ』感想

だいすきなこそあどの森シリーズ。

完結して悲しい思いをしていましたが、スピンオフ(?)が出ていて狂喜乱舞しました。

しかも、こそあどの森のメインキャラ全員がでてきた! うわー、もう、ファンにとっては最高の一冊ですよこれは。

こそあどの森シリーズは、来年から月に一冊ずつ買おうと思っています。そうすれば、一年で全巻揃うというわけです。

何度読んでも飽きないし、ワクワクするし、イラストも最高、キャラも大好き、物語もぜんぶ好きな本。こんな本が本棚に、いつでも手に取れるところにあるなんて最高すぎる。

来年が楽しみです!

本の感想としては……。

岡田淳の物語って、王道からすこしだけ外れるところが面白いんだよなあ……と改めて思いました。

ストーリーのお約束に沿うのかと思いきや、意外なところへと物語が転がっていく。

転がっていった先で何が起こるかわからない。先が読めないハラハラやトキメキを存分に味わえる。

そして読んだあとは必ず心がほんのりとあたたかくなる。スキッパーたちが大好きになる。

イラストもよかったです。あのイラストがあるおかげで、物語にさらに深みがでてくるんですよね。

今回は豪華なカラーがあって見どころがバッチリありました。きれいだった……。

それから本の見返しにこそあどの森を上空から見下ろした図があって、これまでの物語の舞台になった場所を見ることもできました。地図っていいですよね。

それにしても、どうしてこんなにあの登場人物たちを好きになってしまうんだろう?

たぶん、スパイスのように欠点がすこーしだけ含まれているからではないかな。

スキッパーは無口すぎるし、双子はワガママ。

スミレさんは辛辣だし、ギーコさんは気難しい。

ポットさんはお調子者だし、トマトさんは感情的。

トワイエさんは……。どもり? パッと思いつかないな。この影の薄さが欠点かな?

この登場人物たちをもっともっと見ていたいな……。

岡田淳先生、続編どんどん出してください。お願いします。頼みます。

もし出されなかったら、自分で物語を作って絵を描いてしまいそうだ……。

そういえば、ある時ふとこそあどの森のキャラが動いているところを見たいと思って、アニメを作ろうとしたことがありました。

スキッパーとドーモさんの絵を描いたのですが、スキッパーの髪の毛って描くの本当に難しいんですよ。

なにはともあれ、こそあどの森、まだまだ続編期待しています。

#1006 レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』感想

『さよなら僕の夏』を読みたくて、この本を読み始めました。

はじめてのレイ・ブラッドベリが『華氏451度』ではなく『たんぽぽのお酒』になる人っているのかな?

ずいぶん昔に蔦屋で英語の本のバーゲンのようなものがあってまとめて買い込んだのですが、そのなかにDandelion Wineがあったのも『たんぽぽのお酒』を読んだ理由です。

これはね……。

12月に読む本ではないですね。初夏に読み始めるべき本です。

毛布にくるまりながらこの本を読みましたが、気分はすっかり夏です。光と希望に満ちた輝かしい夏。

『たんぽぽのお酒』を読み終わったらすぐに次の『さよなら僕の夏』を読み始めようと図書館から借りていましたが、返しました。来年の夏に読みます。

ダグラスが自分が生きていることに気づいた夏のはじめ、そして自分が死ぬことを知った夏の終わり……。

グリーン・タウンの人々。希望があり、絶望があり、生があり、死がある。小さな町のなかに人生のすべてがある。

はあ、まだ心は架空のイリノイ州をさまよっています……。

お年寄りの話がよかったな。タイムマシンの老大佐、むかしはきれいだった老婦人……。過去を生きる人と、過去を捨てた人。

わたしはどうなるのだろうか。

すがるほどの過去はないから、老境に入ったら潔くすべて忘れて今を生きられるようになるんだろうか。

今を生きるってむずかしいです。

ささいな刺激で過去の嫌な記憶がよみがえり、読んだ本の内容を反芻し、成功した未来を思い描いています。

ダグラスの目にうつる景色があざやかなのは、今をいっぱいに受け止めて、その美しさに圧倒されているからだろうな。

目をひらいたら美しい世界がひらけているのに、薄汚れたわたしはなかなかそれを見ることができません。

まあ、物理的な問題もあるんです。

眼鏡が黄ばんでいるんですよ。ブルーライトカットの眼鏡なので。

たまに眼鏡を外して空を見ると、その青さ、本来の澄んだ空色に驚きます。わたしはどれだけ黄ばんだ世界を見ているんだと。

ブルーライトカットってあんまり意味がないみたいなので、次の眼鏡は絶対にふつうのクリアな眼鏡にします。

でもなあ。今の眼鏡、8万円くらいしたんですよ。次の眼鏡にはそんなにお金をかけられないし、格下眼鏡に降格することは必至。それなら高い眼鏡をかけていたいという貧乏根性で、この黄ばんだ眼鏡をかけ続けています。

眼鏡は消耗品、四年で消費期限、ということを忘れないようにしないといけませんね。

さて。

わたしの見る世界がくすんでいるのは、なにも眼鏡だけのせいではないのは確かなので。

少年のように世界が見れるようになることを祈ります。

夜の城にいってきた。

自宅の近くに城があるので、よく散歩にいく。


よく考えると、「自宅の近くに城がある」ってちょっと面白いな。


たぶん、ふつう城は自宅の近くにない……と思う。


城下町に住んでいるから、近くに城があることに慣れ切っていた。


ともあれ、大体15時か16時ごろに行って、暗くならないうちに帰ってくる。


だけど昨日は、城でイベントが開催されているので、夜に行ってきた。


紅葉の季節に毎年行われているイベントで、綺麗な模様にくりぬいた竹のなかに黄色い明かりを灯したオブジェが城の至るところに設置されている。


誰もいない公園を通り、大きな樹が両側にたくさんあって茂みに囲まれている遊歩道を通り抜けて城内の広場に向かった。


だだっ広い広場に出ると、ちらほらと人がいた。


白くライトアップされた城を遠くにみながら、ゆっくり歩いてオブジェを眺めた。


本格的な写真を撮る人がいて、走り回ってはしゃぐ高校生たちがいて、カップルがたくさんいた。


カップルの会話をBGMにしながらのんびりまわった。


広場からすこし離れたところに古い邸宅が建っていて、そこでもおおがかりなライトアップがされているので、そこに向かって人のいない道を歩いた。


いろいろ考え事をしながら歩いていたので気付くのが遅れたけれど、夜の城というのはちょっと不気味だった。


ふと顔をあげて誰もいない暗い道を見たとき、突然とほうもない寂しさに襲われた。


まるで通りがかりの幽霊に取りつかれたかのような寂しさの襲撃だった。


城のはしっこ、ほとんど誰も通らない道、街灯の明かりが届かない暗闇を見たとき。


寂しくて気が狂いそうになった。ひさしぶりに、孤独が理由で涙がにじんだ。嗚咽を漏らしそうなほどだった。


その道を通る途中でカップルとすれ違ったけれど、寂しさの衝撃は去らなかった。


邸宅は紅葉がはっとするほどきれいで、束の間寂しさを忘れられた。


けれどそこから帰る道で、またもや孤独な気持ちが戻ってきた。


昼間の穏やかな光にあふれた愛しい道が、荒野になってしまったような気分だった。


夜の闇のなか疲れた足をひきずりながら、わたしは思った。


この圧倒的で致死的な孤独を忘れるためなら、怪しげな宗教にだってすがるだろう、と。


新興宗教にはまっていた両親のことをいつのまにか思い出していた。


わたしは両親を許すことができず、誰かが死なない限り連絡しないでくれと突き放した。


盲目的に妄信する彼らのことを理解することができなかった。けれどあの孤独に向き合うくらいなら、のばされた手にすがりついてしまうかもしれない。


わたしはたまたま孤独に対する耐性が高いので麻痺しているけれど、本当に人間というのは孤独なのだ。


しみじみと、心の底から、存在の根底から、孤独なのだ。


わたしが強迫的に本を読み映画を観てご飯を食べる時すら海外ドラマを観ているのは、孤独を忘れるためなんだ。


人々は死を想起させる孤独からがむしゃらに逃れるために、社会を築き上げ関係を構築し、城を建てるのだろう。


冬の夜の城を歩きながら、そんなことを思っていた。

#1005 ポール・オースター『鍵のかかった部屋』感想

 わたしの好きな外国作家三位なのに、好きすぎてなかなか読めないポール・オースター。

なかなか読めない理由は、彼の小説の空気を呼吸できる自分になれるときが少ないからでもあります。


透徹した孤独。極限まで追い詰められる自我。その恐ろしさに耐えられるときに読まないと、打ちのめされてしまいます。


一作目の『ガラスの街』で自分の心を粉々にされ、それから畏怖をもって接してきた作家です。


〈ニューヨーク三部作〉『ガラスの街』『幽霊たち』、そして『鍵のかかった部屋』。これらの本に共通しているのは、たしかに読んだはずなのに、内容をほとんど覚えていないんですよね。


わたしの記憶力の問題もあるかもしれませんが、それだけではありません。


文章に魅せられて最後まで息を切らして読み切ったはずなのに、振り返ってみると何もない。ただ、切れ切れのシーンの断片がちらりとよぎるだけ。圧倒的な空虚感だけが残り、その記憶を頼りにまた次の本へよろよろと歩いていく。


内容だけでなく、読後感までポール・オースター。


彼の本について語ることはほぼありません。


ただ読むだけです。


ただ心配なのが、現時点で読んでいるのが彼の初期の作品にあたること。


これから年代をくだるにつれ、彼の作品がどう変化していくのか、あるいは変化しないのか。


比較的最近の『幻影の書』も読んだけど、例によって内容を覚えていないのでポール・オースターがどうなったのかわからない。


というか、『幻影の書』に関する記憶がほぼない……。大抵の本は、いつどこで借りたか本棚の位置で覚えているのに、この本に関しては記憶がない。


まさか。


もしこの読後感が本の内容に関連しているとすれば、ポール・オースターの小説の主人公は、自我が粉々になるだけでなく、完全に消え去ってしまったということだろうか。


いま調べてみたところ、2018年の3月に読了しているので、単純に年月の問題かもしれない。


けれど、それよりずっと前の2012年10月に読んだ『ガラスの街』を覚えているのだから、それだけ記憶がすっぽり抜けているのはおかしいか……。


なんだか探偵小説のようになってきましたね。


果たして犯人は消えてしまったのか?


……そもそも、探偵はいたのだろうか?

#1003 吉本ばなな『吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト』感想

よしもとばななはたまに読みたくなる作家です。

図書館で見かけて、なんとなく読みたくなって読みました。選集だけあってすっごい分厚くて躊躇したんですが、これを機にまとめて読もうかなという気になったんでしょうか。


収録されている作品の半分は読んだことがあって、ちょっともったいない気持ちになりました。どうせならまだ読んだことのない作品が読みたいなあと思ってしまう人間です。


よしもとばななといえば、高校の教科書に作品がのっていて、解釈みたいなものを習いました。記憶が曖昧ですが、送られたシクラメンの花の意味とか文章からキーワードを抜き出して感情を当てはめたりとか。


生意気な高校生らしく、(よしもとばななを論理的に解釈するなんて、無粋なことするなあ)と思ってました。なんとなく、よしもとばななは感性の人という印象があったので。


よしもとばななが「こんなことがあったんだよね。困っちゃう」と書いたら読者が「そうなんだ。大変だね」ってなって、それでよしもとばななが「なんとなくこんな気持ちがしたんだよね」と書いたら、読者も「なんとなくその気持ちわかる気がするな」というかんじの小説だと受け取っていたので、解釈とか解説とかよしもとばななに必要か? と不満に思っていましたね。


いや、もしかしたら、よしもとばななを高校生に読んでもらうきっかけにするために題材に選んだのかもしれない。それだったら納得できます。人を選ばないし、読みやすいし、小説を読んだことがない子にも寄り添ってくれそうだ。


よしもとばななは基本的にゆるいんだけど、たまにヒヤッとする冷たさや怖さだったり、世界があまりに荘厳で崇高なことに気付かされて圧倒される凄さだったり、そういうギャップがいいですね。


今回読んだ本は「Occult オカルト」という題の通り、オカルトチックな話が収められているとのことでしたが、よしもとばななのお話って「オカルト」ではないですよね……?


なんといえばいいのか難しいですが、世間一般の人が認知している「オカルト」という言葉のイメージには当てはまらないというか。


確かに不思議なことが起こりますが、それは自然に起こることで、日常の中で当たり前に生起する問題のひとつというかんじ。


不気味さをことさら強調したり、怖がらせようという意図はない。ただ、不思議なこともあるものだなあ、としみじみ思う。


あら。なるほど。いま「オカルト」の意味を広辞苑で調べてみたのですが、「神秘的なこと。超自然的なさま。」だそうです。ぴったりだね。


「オカルト」って胡散臭くて世俗的で一部の人が熱狂的に信奉している、というひどい偏見があったので、それがちょっと修正されました。


さて、他の面白かった点は、初期ばななの拙さというか、言葉が無邪気に転がり出てもつれてるところです。若さのもたらすみずみずしさをそんなところに見つけました。頭の中の言葉にできないものをなんとか言葉にしようとする煩悶といいますか……。後期ばななは読んでいて引っかかりを感じることがなかったので新鮮でした。


作者の変化が小説ごとに表れているのはいいですね。よしもとばななの場合は、いろんな植物にぶつかりながら伸びていく南国のばななの樹みたい。ジャングルのなかで、陽がさんさんと照っていて、吹く風に生臭い花の匂いがする、みたいな。


吉本ばなな自選選集、「Occult オカルト」の次は「Love ラブ」だそうです。楽しみ!

#1004 出口治明『哲学と宗教全史』感想

これ、あと数ページで終わるというところで、ずっと放置していた本でした。やっと読み終わってスッキリ。

こういう勉強系というか教養系というかそういう本って自分が元気な時じゃないと読めないんです。


元気な期間が終わるとパッタリ建設的なことができなくなるので、あと数ページ読めば終わりという事実にも気付かず忘れ去ってしまう。


というわけで、読了までだいぶ時間がかかってしまいました。


「知らないことを知りたい!」と目をキラキラさせる時期はすぐに過ぎ去ってしまうので、その気力があるうちにせっせとこういう本を読まなければ。


この本は図書館で借りたのではなく購入した本なので、ずっと手元に置いておけます。


年表がついているのがいいですね。


年表といえば、主要な哲学者とその著作が書かれた年をスプレッドシートにまとめたなあ。


自分のなかで哲学ブームが起こったときに、哲学の入門書を読んでいた時期があり、そこで時を同じくして『哲学と宗教全史』も読み始めたんだと思います。五か月くらい前かな?


ときどき宗教ブームも巻き起こるので、哲学と宗教について概観できるこの本はこれからも重宝しそうです。


読み始めたときは平易な文章と気楽な距離感に疑念を抱いていました。読者に対してフレンドリーなのはいいが、一般人だと思って気軽に説明しているんじゃないか、と。


「これ本当か? 博識なおじさんが記憶を頼りに書いているんじゃあるまいな。ところどころ作者の推察が書かれてるが、学問的に正しいのか?」と疑いながら読んでいました。


その疑いが拭えず、図書館で見かけたちゃんとした歴史書(すみません、名前を失念しました)を借りて読んだのですが、すぐにギブアップしました。本物には歯が立たなかった。


わたしにはこの本くらいのレベルが今はちょうどいいようです。楽しんで読めました。


著者いわく、学生時代に比べて知見がどこまでアップデートされているか自信がないとのことだったので、わたしの疑念は中らずと雖も遠からずだったようです。


専門の研究者のちゃんとした学説が読みたいなあと思えたので、あと何冊か入門書を読んで筋力をつけたら、『世界の名著』にチャレンジしたいですね。


読書にも筋トレは必要なのだ……。

#1002 恩田陸『蜜蜂と遠雷』感想

すごく、すごく、すごく、よかった。

たぶん50mlくらい涙でました。キッチンに行って計りで50mlがどれくらいのものか見てみてください。それがわたしの感動の量です。


いえ、すみません。いまキッチンに行って50ml計ってみたのですが、さすがに涙の量にしては多すぎました。20mlです。20mlの涙が出たんですよ? 体感で。わたしがどのくらい感動したか、だいたいわかると思います。


わたしは基本的に本は図書館で借りて読みます。なので、予約がいっぱい入っている人気の本はなかなか読めないんです。今回はたまたま運が良くて本棚に並んでいるのを見つけて借りました。次に予約が入ってるみたいだったので、急いで読まなくちゃなあと思って読み始めたんですね。


二段組だしすごい分厚いな、返却日までに読めるかな、と心配したのですが杞憂でした。読み始めると止まらない。


読み始めて二日目、家に工事の人が来て作業してたのですが、その横で涙を流しながら一心に読みました。作業が終わって声をかけられた時、ちょうど風間塵の演奏中で無心で読んでいたのでびっくりしました。そういえば人いたな、と思い出しました。普段は人がいるとなかなか集中できないのに……。


工事の人に「時間が長くなってすみません」と言われて気付いたのですが、最初は40分くらいで終わると言われていた作業が二時間くらいになっていました。それくらい集中して読めたんです。


おもしろかった……。


コンクールの日程をその場で経験したような気持ち。


音楽をその場で聴いているような気持ち。


主人公たちと共に音楽を経験したような気持ち。


読み終わったあと、図書館に出かけました。apple musicで「蜜蜂と遠雷」を検索して、そのプレイリストをイヤフォンで聴きながら電車にゆられました。


ひさしぶりにきちんとクラシックを聴きました。演奏する前の亜夜のように、虚空を見つめて音楽を聴きました。


趣味で書いている小説に音楽家が出てくるので、素人ながら小説で音楽の描写をやったことがあり、そのときにクラシックをよく聴いていました。


音楽への賛美。限りない賞賛。憧れと陶酔。わたしが書いたのはそれくらいでしたが、『蜜蜂と遠雷』には暗い側面も克明に描かれていましたね。


ふと思ったのですが、恩田陸は音楽に対して「愛している」という言葉を使わなかったような……。(もし使っていたら教えてください)


「愛している」という気持ちを、「愛している」という言葉を使わずに書き切ったんだな。


溢れ出る愛を、言葉を尽くして表現した。


ある詩人の言葉に、「音楽とは、言葉を探している愛である」というものがある。


恩田陸は小説家として、言葉によって音楽を聴かせて、音楽によって引き起こされる感動を喚起させたんだ。


すごいことだよ、これは……。


どれくらい取材したんだろう。どれくらい資料を読んだんだろう。どれくらい勉強したんだろう。もしかしたら、ピアノを習ったのかな。インタビューがもしあったら、読む機会があれば読んでみたいなあ。


タイトルの『蜜蜂と遠雷』に関して。


蜜蜂の羽音は、風間塵にとって今聴こえている音楽そのものの音。亜夜にとっての雨音のギャロップ。


じゃあ遠雷は? と考えたとき。


それは、予感だと思う。嵐の予感。未来の風間塵やマサルや亜夜が弾く音。音楽が箱の中から連れ出され、空で鳴り響く音。神が鳴る音なんだと思う。


いまは遠く、空の彼方で鳴っている神鳴り。


遠雷。その音は、いずれ時がきたら、風間塵のアレンジやマサルの新曲や亜夜のコンサートで鳴り響くんだろうな。


というわけで、すばらしい小説でした。


世事に疎いわたしでも発売当初、世間が熱狂していたのを知っているくらい有名な本だけど、その理由がわかりました。


欲しい。本棚に欲しい一冊……。買っちゃおうかな? でもその前に、買うなら『ドミノ』かなあ。いやいや、『黒と茶の幻想』も捨てがたい。でももし『黒と茶の幻想』を買うなら、『三月は深き紅の淵を』も並べたい。それならいっそ理瀬シリーズを揃えたい……となってしまうので、購入は要検討。


恩田陸はミステリ作家ときどきオカルトサスペンスという印象だけど、たまに出す青春ものが大ヒットするよね。『夜のピクニック』のことですが。


『蜜蜂と遠雷』作中で、演奏家がやりたい曲とうまく弾ける曲が一致しないという趣旨のことが書かれていたけど、恩田陸にも当てはまるのかな。


そういう点でいうと、作中にもあった通りミステリ作家と音楽家って似ているなあ。


憧れる……わたしもミステリ作家や音楽家になってみたい。


そういえばわたしもピアノを習った時期がありました。礼拝でオルガンを弾いている時期もありました。


だからといって『蜜蜂と遠雷』にでてきた天才たちの気持ちがわかるというわけではないですが……。


こういう自分の記憶を呼び起こされて、憧れを募らせる小説っていいですよね。


いやあ、いい小説を読んだ。


何年後に思い出しても素敵な、大切な記憶になりそうです。

#1001 村上春樹『村上さんのところ』感想

 村上春樹のこの手の本……読者から送られてきたメールに返事をするという形式の本は、今のところ二冊読んでいます。

『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』

『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』

読んでいるのは以上二冊ですね。

今、図書館から借りているのも一冊あります。

『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』

長いな! まったく……。

以前出版された三冊に比べて、『村上さんのところ』は村上春樹が真面目だなと思いました。

おそらく、真剣な質問が多かったからでしょう。あと、村上春樹も年を取ったということか……。

『村上さんのところ』を読んだあとに「ひとつ、村上さんでやってみるか」を読んでみると、村上春樹がくだけた口調で茶目っ気たっぷりなので驚きました。まだ若かったんだなあ。

でも村上春樹の可愛げは『村上さんのところ』でも健在で、にゃーにゃー鳴いて不都合なことを乗り切っていました。あんたもうおじいさんでしょうに。いくつになっても可愛いな。

イラストが安西水丸さんじゃなくなったのがなんとなくさみしいですね。若い頃はそこまで好きでもなかったのですが、お亡くなりになってから好きになりました。ゲンキンかな?

相変わらず「ハルキスト」ではなく「村上主義者」を推していらして、まだまだ世間への浸透度は低いんだなと感じました。

わたしも「ハルキスト」はなんか軽薄なかんじがして嫌です。

そもそも、もし自称「ハルキスト」なら上記の本を読んでいるはずですから、自分のことを「村上主義者」と呼称するはずじゃないですか?

これは真の村上春樹好きをあぶりだすテストだと思っています。

なんだか自分が気持ち悪くなってきたのでここらへんで終わります。

人を好きになるというのは気持ち悪くなるのと同義ですね。

#1000 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの生還』感想

2008年から読了した本をブクログに記録を始め、その完全版としてスプレッドシートにも記録していました。

スプレッドシートの記録が、2023年の11月に1000冊を達成いたしました。拍手!


1000冊達成した記念にブログでも始めてみようかと、いまこの文章を書いているわけです。


記念すべき1000冊目は、シャーロック・ホームズです。シリーズものの途中の巻です。


うーん、不満というほどでもないんですけど、ちょっと拍子抜けというか……それというのも、ちょっとした手違いがありまして。


実は1000冊目は特別な本にしようと思っていたこともありました。


でも、もうすぐ1000冊だということに気付いたのが遅くて、あまり計画を立てる時間がありませんでした。


なので、そのとき図書館から借りている手持ちの本の中から、自分にとって比較的特別感のある本を1000冊目にしようと決めました。


そして選んだのは次回の記事に出てくるであろう村上春樹『村上さんのところ』です。


村上春樹が一番好きな作家だし、きっとずっと覚えているであろう1000冊目にふさわしいかなと思った次第です。


しかし、あとから発覚したのですが、記録から漏れていた本がありまして。


梶井基次郎の『檸檬』。この本を、わたしは10月に読んだのに記録し忘れていたのです。


なので、この本が繰り上がりで1000冊目になってしまいました。


完全に油断していたし、こんな小さなミスが後々まで残る記念すべき1000冊目に影響するとは……。


なんだか、キッチリとやり切れないところがわたしらしいです。そこそこ几帳面だとは思うのですが、詰めが甘いんですよね。


本の感想としては……。


ホームズ本は、読書をする気力がないときでもかろうじて読める本です。


すべてがちょうどいい。


まず短編だし、魅力的なバディものだし、きれいに起承転結がおさまっていて、ミステリーありホラーありドラマあり、けっこう完璧なバランスの面白さなんですよね。


すごいよなあ。それに、シャーロキアンの訳者が事細かに注釈をつけてくれるおかげで霧深い十九世紀末ロンドンが鮮やかに感じられる。


あ、ちなみに光文社の新訳シャーロック・ホームズ全集です。これね、挿絵も当時の人気作家が描いたものが抜粋してのっていて、これがまたいいんです。


まだまだシリーズは続くので、細々と読んでいきたい。


はあ、1000冊目かあ……。


なんか、何千冊も読んだ気がしていましたが、そんなことなかったですね。


遅々とした歩みでなんとか1000冊たどりつきました。


ここまで来て思いましたが、これからの読書は厳しく選択していかなければならないなと感じました。


1000冊読んだからには、多少なりとも読書の筋力はついていることでしょう。


読書にも筋トレが必要ですよね。重い本を持つという物理的側面でもそうですが、重厚な本を読みこなす精神的筋力が必要だなと思うときが多々あります。


これからは、読みたくてもあまりに巨大で手が出せなかった壮大な小説を読める力が自分にあると信じて、どんどん大作に挑戦していきたいです。


時間も少ないですしね……。気力体力ともに、今が最大のピークであとは落ちていくだけでしょうから。


『ジャン・クリストフ』『アンナ・カレーニナ』『レ・ミゼラブル』あたりをまずは読みたいですね。


作家でいうとドストエフスキー、トルストイ、ジェイムズ・ジョイス。


勇気づけられるのは、もっと歳をとっても読書ができるんだということを、おぼろげながら知り始めたことです。


図書館などで出会う、わたしよりも年上の方たちが本棚のあいだをウロウロしていると、わたしもあの歳になっても本を読めるんだと実感できて少し安心します。


もっと若いころは、歳をとったら目が悪くなって本の文字が読めなくなり、大きな活字の本しか読めなくなるんだと思い込んでいたので、これは大きな進歩です。


まだ読んでいないおもしろい本を求めて、わたしはこれから何十年先も、図書館の本棚のあいだをウロウロするでしょう。


まだまだ読書人生は続く……!

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