- 恩田陸『蜜蜂と遠雷』
- 森博嗣『有限と微小のパン』
- ポール・オースター『鍵のかかった部屋』
- 山吹静吽『夜の都』
- ゲーテ『若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ』
- ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
- パトリック・レドモンド『霊応ゲーム』
- ウィリアム・モリス『ユートピアだより』
- 内海健『双極性障害Ⅱ型という病』
- 松木邦弘『不在論:根源的苦痛の精神分析』
2023/12/31
2023年おもしろかった本ランキング
2023/12/30
ナンバリングの訂正があります。
2023年に観たドラマ・アニメ
2023年に観た映画154本
2023年に読んだ本107冊
今年読んだ本をとりあえずリストアップしてみました。
こうして並べてみると少ないような気がしますね。
再読している本もあります。
特に面白かった本を10作品選んで色をつけました。
ハリー・ポッターと賢者の石 J.K.ローリング
ハリー・ポッター秘密の部屋 J.K.ローリング
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと炎のゴブレット 下 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 上 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 下 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと謎のプリンス 上 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと謎のプリンス 下 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと死の秘宝 上 J.K.ローリング
ハリー・ポッターと死の秘宝 下 J.K.ローリング
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 村上春樹
桐島、部活やめるってよ 朝井リョウ
イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 宇宙のしくみ 松原隆彦
少女が知ってはいけないこと 片木智年
遠慮深いうたた寝 小川洋子
無理難題が多すぎる 土屋賢二
きみの友だち 重松清
自閉症は津軽弁を話さない 松本敏治
学生時代にやらなくてもいい20のこと 朝井リョウ
アスピリンの恋―太宰治 太宰治
アッホ夫婦 ロアルド・ダール
世界でいちばんやさしい教養の教科書 児玉克順
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 村上春樹
未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する 城ノ石ゆかり
降りてくる思考法 江上隆夫
小公女 フランシス・ホジソン・バーネット
不在論:根源的苦痛の精神分析 松木邦弘
日々是口実 土屋賢二
創造と狂気:精神病理学的判断の歴史 フレデリック・グロ
エマソン 自分を信じ抜く100の言葉 中島輝
波止場日記―労働と思索 エリック・ホッファー
図書室の海 恩田陸
双極性障害[第2版] 加藤忠史
ボッコちゃん 星新一
ユートピアだより ウィリアム・モリス
双極性障害 マルク・マソン
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い ジョナサン・サフラン・フォア
気分上々 森絵都
心に美しい庭をつくりなさい。 枡野俊明
年はとるな 土屋賢二
中庭のオレンジ 吉田篤弘
霊応ゲーム パトリック・レドモンド
ザ・シークレット ロンダ・バーン
ホ・オポノポノ ライフ カマイリ・ラファエロヴィッチ
インナーチャイルドと仲直りする方法 穴口恵子
「あるがまま」を受け入れる技術 河合隼雄/谷川浩司
貧相ですが、何か? 土屋賢二
スタンフォード大学 マインドフルネス教室 スティーヴン・マーフィ重松
パスカル パンセ抄 パスカル
自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムズ
若きヴェルターの悩み/タウリスのイフィゲーニエ ゲーテ
ハードボイルド/ハードラック 吉本ばなな
神の子どもたちはみな踊る 村上春樹
大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる 貫成人
あるがままに生きる 足立幸子
哲学者にならない方法 土屋賢二
有限と微小のパン 森博嗣
走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹
クレイ デイヴィッド・アーモンド
アメリカ短編ベスト10
発達障害の人が“普通”でいることに疲れたとき読む本
バーティミアス (3) プトレマイオスの門 ジョナサン・ストラウド
できない相談 森絵都
パン屋再襲撃 村上春樹
アーサー王伝説―7つの絵物語 ロザリンド・カーヴェン
ポー名作集 エドガー・アラン・ポー
TVピープル 村上春樹
ダレン・シャンⅠ ダレン・シャン
一日10分の坐禅入門 高田明和
禅マインド ビギナーズ・マインド 鈴木俊隆
シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル
めざめれば魔女 マーガレット・マーヒー
足音がやってくる マーガレット・マーヒー
苦役列車 西村賢太
ドミノ 恩田陸
禅への鍵 ティク・ナット・ハン
ダレン・シャンⅡ ダレン・シャン
双極性障害Ⅱ型という病 内海健
ルーパートのいた夏 ヒラリー・マッカイ
禅のつれづれ 鈴木大拙
ドミノin上海 恩田陸
シャーロック・ホームズの回想 アーサー・コナン・ドイル
檸檬 梶井基次郎
センセイの鞄 川上弘美
緋色の研究 アーサー・コナン・ドイル
あなたに似た人Ⅰ ロアルド・ダール
あなたに似た人Ⅱ ロアルド・ダール
アナザー 綾辻行人
魔法の声 コルネーリア・フンケ
夜の都 山吹静吽
螺鈿の小箱 篠田真由美
原稿零枚日記 小川洋子
夜のかくれんぼ 星新一
シャーロック・ホームズの生還 アーサー・コナン・ドイル
村上さんのところ 村上春樹
蜜蜂と遠雷 恩田陸
吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト 吉本ばなな
哲学と宗教全史 出口治明
鍵のかかった部屋 ポール・オースター
たんぽぽのお酒 レイ・ブラッドベリ
こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ 岡田淳
I Love Youの訳し方 望月竜馬
八月の路上に捨てる 伊藤たかみ
吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ 吉本ばなな
グリーン・ノウの子どもたち ルーシー・M.ボストン
孤独論 逃げよ、生きよ 田中慎弥
2023/12/25
子どもにゲームをさせよう。
2023/12/24
クリスマス・イブに考えること。
2023/12/18
『エブエブ』と村上春樹。ベーグルとドーナツ。
『エブエブ』をもう一度観た。
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想
2023/12/16
映画『アナと雪の女王2』感想
※ ネタバレがありますのでご注意ください。
ううっ……。泣いちゃった。やっぱりディズニーはいいなあ。
なぜ今更この映画を観たかというと、最近お話させていただいた方が教えてくれたことがあって……。
それというのも『シュガーラッシュ:オンライン』『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』は「別れの物語」だというのです。
『シュガーラッシュ:オンライン』と『トイ・ストーリー4』は観ていたので「なるほど」と感心してしまいました。それで観るつもりはなかった『アナ雪2』を観てみたわけです。
基本的に映画作品の二作目ってあまり期待しておらず鑑賞を後回しにしがちだったので、良いきっかけでした。
三作品はそれぞれ2010年代のおわりに立て続けに公開されていますね。『シュガー・ラッシュ:オンライン』は2018年、『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』は2019年。
今回『アナ雪2』を観て、ディズニーの一時代が終わったことを感じさせられました。「End of an era」とでもいいましょうか……。
それを教えてくださった方とその話をしていて失敗したなあと思ったのは、ちょっとした失言をしてしまって……。
わたしは何が終わって何が始まったんだろうと思って、自作の映画年表を見てみたんですね。
そうしたら、2020年代最初の作品は『2分の1の魔法』、それに続くのが『ソウルフル・ワールド』『ラーヤと龍の王国』でした。
それでわたしは考えもせずに「ああ、ディズニーポリコレの時代がはじまったんですね!」とポロリと言ってしまって……。
ディズニーが好きな人になんてこと言うんだと自分を責めました。
しかもわたしは『ラーヤと龍の王国』しか観ていないのにポリコレと決めつけるなんて……。
わたしの悪いところは、たくさん作品を観ていることを鼻にかけて断定的に評価することですね。
まあわたしが狭量で性格が悪いのは、それはそれで仕方ないことです……。でも、誰かの好きなものに対してポリコレと決めつけるのは本当によくないなと反省しました。
さて、『アナ雪2』の感想ですが……。
まずご了承いただきたいのは、わたしはディズニーを観るときは精神年齢9歳になっています。
なので9歳らしく自分の感性に素直に従い褒めたり貶したりします。あしからず。
それではアナ雪2の感想を申し上げますね。
まずね、思ったのは、「エルサの衣装すてき~~!」でした。
最初に着ていた濃い紫の衣装、そして旅装束、そして最後の白いドレス。ぜんぶ素晴らしくすてきでした。
やっぱりディズニープリンセスの衣装は世界中の女の子がバースデイやハロウィンに着たくなるようなものじゃなきゃね!
エルサに比べると地味なアナの衣装も北欧らしい素朴さでめっちゃかわいかった……。紅葉の森と色合いがマッチしていてよかった。
そして、姉妹がお互いを信頼し合うようになっていて心があたたかくなりました。
危うげがなくなりましたね。エルサはアナを頼り、アナはエルサを支えようとする。
前作でアナは能天気ハッピー無鉄砲な子だったのに……今作では危険に飛び込むエルサを止めようとしていて、成長を感じられました。
エルサも丸くなって雰囲気がやわらかくなりましたね。ちょっと内気なところが相変わらずでかわいい。ジェスチャーゲームが下手くそでハンスに辛辣なところがキュンとしました。
クリストフはねえ……。いいやつなんだけど、ちょっと空回りしていましたね笑。
9歳のわたしが途中で飽きちゃったところがあって、クリストフが姉妹に置いていかれて歌っているところですね。あそこは中だるみした部分だと言っても仕方ないでしょう。おもしろかったけど。
あれってちょっと昔のアイドル歌手のバラードMVのパロディなんでしょうけど、そんなの9歳にわかるかい! と思いました。
でもクリストフのまともな歌唱パートはあそこくらいだったので許しましょう。
それにしても、やはり「別れ」がテーマである以上、すこしだけさみしさを感じるエンドでしたね。
ダムが崩壊し閉じこめられた魔法の力が開放されエルサも氷から解放されたとき、アートハランにいたはずのエルサが突如水中からアレンデールにあらわれました。
どうやってアートハランからアレンデールに来れたのか考えると、つまりエルサは完全に精霊になってしまったということですよね。水の精霊である馬が神出鬼没なことを考えるとそうなります。
エルサは人間から精霊に生まれ変わってしまったために、人間の国であるアレンデールをアナに譲り、より精霊に近いノーサルドラの森に住むことにした。
仲のよかった姉妹が離れ離れになってしまった……。だけど、アナは女王としてより成長できるだろうし、今まで女王という重責に耐えてきたエルサは人間という枠を超えて真に自由に世界を飛び回れる。
そして姉妹の愛が人間と精霊をつなぐ架け橋として、世界を平和へと導く……。The End.
これでよかったんだ……という終わりでした。
ディズニーもプリンセス頼りのいままでのやり方から抜け出し、プリンセスの呪縛から解放されたかったのかもしれない。
プリンセスは魅力的だし求められているものだけれど、ディズニーがプリンセスのバリエーション展示会場になったら確かに味気ないです。
プリンセスという枠に捕らわれず、いろんな世界を表現してみたかったのかもしれませんね。
ディズニープリンセス映画の金字塔エルサは、プリンセスから女王になり、そして精霊になりました。
プリンセスから解き放たれたディズニーが何を作ったのか、ちゃんとこの目で確かめないといけませんね。
ポリコレといって敬遠せず、9歳の視点でちゃんと最近の作品を観たいと思います。
ドラマ『モダン・ファミリー』感想
2023/12/15
趣味の小説が160万字いった。
10年間書き続けて160万字。
長すぎるよ……。これだけ巨大に膨れ上がった物語、わたしの手に負えるのだろうか。
いや、絶対に終わらせなければならない。
この物語が終わらない限り、わたしの人生は始まりもしないし終わりもしない。
あと五日間の出来事をかけば終わる。あとすこし、あとすこし……。
しかし小説は、毎日少しずつ進めればいいというものでもない。
まったく書けなくて一か月過ぎることもざらにある。
けれど、今日は久しぶりに進めることができた。
たった3000字だけど、わたしにとってその意義は大きい。
おそらく、小説を書けなかった一か月のあいだ、せっせと本を読んだことが小説の進展に寄与したんだろう。
わたしは昔から考えていることがある。
これはひとつの自論なんだけれど、インプットとアウトプットについて。
わたしの場合だけれど、「100のインプットに対して、1のアウトプットしかできない」と思う。
例えるなら、本を100冊読んだら1冊分の文章が書けるということ。
これを発見したのは小説を書き始めたころ、50万字書いた時点でぷっつりと書けなくなってしまったときだった。
わたしは昔から読んだ本を記録していたのだけれど、小説が書けなくなったとき、読んだ本がちょうど500冊になっていた。
一冊の平均が10万字だとして、500冊だと5000万字インプットしたということ。
その100分の1である50万字の時点でアウトプットができなくなった。
わたしは小説を書くとき読んでいる本の文章に引っ張られてしまうので、読書をやめていた。
書けなくなってからは意識して本をたくさん読み、無事に続きを書くことができた。
この100分の1の法則、けっこう当たっていると思うなあ。
現時点で1000冊インプットしているので、10冊分のアウトプットができているというわけです。
60万字上乗せされているけれど、それは映画や漫画、ネット小説のインプットの分。
だけどこの100分の1の法則、天才の場合はちがう。天才は50の入力で1の出力ができると思う。
大学時代に天才の友人がいて、その能力の違いに愕然としたものです。
こういうふうに、人によって100の部分が150になったり10になったり違うだろうな。
少ないインプットで多大なアウトプットができることを一言で言うと「才能」。そしてアウトプットの質がいい人を「天才」と呼ぶ。そういうことになりませんか?
そして天才であるためには良質なインプットが必要で、たとえ悪いインプットだろうと良いアウトプットに変換できる能力が備わっていること。
「才能」や「天才」を部分的に説明するならこんなかんじなのかなあとわたしは思っております。他にもひらめきやアナロジー等の要素があるでしょうが。
わたしはわりと漫然とインプットしていたから100だけど、きちんと体系立てて意識してインプットしたならもっと効率よくアウトプットの量を増やせると思う。
この法則、もっと単純にIQの違いに置き換えてもいいかもね。
IQが高ければ学習能力が高い、ってそれだけのことなんだけれど。
わたしは残念ながら稀代の天才というわけではないけれど、天才に追いつく方法はちゃんとあると思う。
それはやっぱり続ける能力。
わたしの知っている天才は続ける能力がまったくなくて、結局堕落してその才を十分に発揮できなかった。
うさぎとかめの物語って含蓄に富んでいますね。
かめのように遅かろうが諦め悪く続けていれば、わたしの書いている物語にもいつか終わりがくるでしょう。
未来は明るい。
2023/12/14
映画『ヴィーガンズ・ハム』感想
※ ネタバレいやな人は読まないでくださいね。
この映画を観終わった瞬間、「悪趣味すぎる……!」と崩れ落ちました。
これ、笑っていいんですか? ブラック・コメディとは言ってもヤバイでしょ。
この映画を観たヴィーガン、怒り狂うんじゃないですか? ヴィーガンはフランスでこれだけ憎まれているんですか?
この映画を観て笑ってしまったと言ったが最後、サイコパスのレッテルを貼られそうで恐ろしくて何も言えないのですが……。
このブラックさを許容できる人はわたしの周りにはいないかもしれません。まあ孤独なので人自体いないのですが。
これ、正直に認めていいのかな……おもしろかったって……。いや、だめだろ。この映画はだめでしょ……。
でもなあ。わたしのなかのブラックなわたしが、「この映画がヴィーガン界でどのように扱われているのか知りたい」と思ってしまう……。
意外とヴィーガンって心が広い印象もあるから、笑って受け流しているのかもしれない。どうなんだろう。
そうだよ。日本に届くくらいヒットしたフランス映画ってことでしょう? 相当人気で評価も高かったのでは……?
うーん。
とりあえず、下手なこと言わない方がいい気がする。
この映画の感想はこれで終わりです。
おわり! 解散!
映画『終わらない週末』感想
※ ネタバレいやな人は読まないでくださいね。
先月と今月はあまり映画を観ていませんでした。
ひさしぶりに観た映画がネットフリックス制作の『終わらない週末』。
なんとジュリア・ロバーツが出ていました。最近のネットフリックス映画は出演陣が豪華で驚きです。
わたしはちょうど一年前に突然ホラー映画を観られるようになりました。今までは苦手で避けてきたのですが……。何がきっかけだったのかはよくわかりません。刺激が少ない日々だったからかもしれない。
それから今まで観られなかった分を取り戻すようにせっせとホラーやサスペンス映画を観まくりました。
だからなのかもしれませんが、ネットフリックスやアマプラがホラーやサスペンスばかり勧めてきます。
この『終わらない週末』もネットフリックスがオススメしてくれました。
最近のネットフリックス映画って、映画の撮り方が上手いのか下手なのかわかりませんね。
驚かせ方は芸術的なくらい上手なんですよ。びっくりしたいところできっちりびっくりさせてくれる。しかも、意表をついて驚かせてもくれる。ツボをおさえた怖がらせ方。そこは気持ちがいい。
この驚かせ方が上手いものだから、観ている最中や観終わったあとは「おもしろかった」という感想になる。
だけど、冷静に映画を振り返ってみると、驚かせることに比重が偏りすぎていてとってつけたようなシーンが多い。
「これ、画面的に面白いから脚本に捻じ込んだだけでしょ。まあ強烈なシーンだからいいけどさあ……」というような場面が多い。
面白い絵を切り貼りした映画、つまりチグハグなんですよね、全体の流れを見たときに。だけどシーンのつなぎや説得力の持たせ方はそれなりに上手いから映画を観ている最中はごまかされてしまう。
最近のネットフリックスのホラー/サスペンス映画って、こういう傾向がありませんか?
この映画でいうと……たとえばスコット親子の描き方。
意味深な回りくどいセリフを言わせたり、思わせぶりなことをさせたり。
「この親子に何か秘密があるのでは?」という謎が序盤を引っぱっていくわけですが、結局この親子も巻き込まれただけというオチ……。
これじゃあただの性格の悪いめんどくさい親子になっちゃいます。まあそれでいいんでしょうけど……。
それと、アマンダの夫が道に迷っているときに突然あらわれたスペイン語を話す女。あれ誰? なぜあそこに? 納得のいく説明を思いつかない。誰か教えてください。
あと、G・Hが浜辺で飛行機が墜落した現場で死体を見つけるシーン。あれおかしいでしょ。浜にたどり着いた時点で気づくでしょ。
それに、動物のシーン。鹿やフラミンゴのことですね。すごく印象的でCGにも金がかかっていそうですが、あれ必要ありました?
シーンとしての印象は強く、あの映画を象徴するシーンと言ってもいいですが……なんらかの人為的な攻撃で動物があんな挙動することあります?
いやいや、ここは冷静になっちゃいけないのか。だけどなあ……マジでおもしろい映画って、こういう理屈をさしはさむ余地がないくらいおもしろいから……。
こんなことをツラツラ考えさせてしまう時点で、この映画がそれなりの映画ということになりませんか。
でも個人的に『フレンズ』が大好きなので最後のオチですべて許せました。
まじかよ、『フレンズ』にすべてを丸投げすんのかよ……。まあ『フレンズ』はおもしろすぎるのでよし。
『フレンズ』はシーズン10まであるにもかかわらず三周しましたもん。
「The Last One」をたしかに『フレンズ』ではグランドフィナーレって訳してた気がする。
三章がはじまったとき、「なんでグランドフィナーレなんだ?」と思ったのですが最後で納得しました。
ふむ。それにしても、どうしてこの映画が気に入らないんだろうと考えたとき。
その理由は、感情移入できる登場人物がいないからではないかと思います。
だって登場人物全員、性格悪い。この映画でだれを応援すればいいでしょう?
まあ、最後には全員不幸になるわけですから、感情移入なんてしないほうがいいんでしょうが……。
ああ、だからか。バッドエンドだから、感情移入できる登場人物を置かなかったのか。
そう考えると、これだけ性格の悪い人間を見させられながら、最後まで映画に付き合わせる技量にはあっぱれと言うしかないかもしれませんね。
ネットフリックス映画は、監督も脚本もやっつけ仕事というか、だからこその勢いが生まれていてそれがけっこう好きなので、どんどんやってほしいですね。
2023年に読んだ本、100冊になりました。
現在12月中旬ですが、無事に今年読んだ本100冊突破しました。
あと数冊読めば100冊に達するということに気づいてから、落ち着いて読書ができなくなりました。
なので、こうなったらさっさと100冊読破しようと決め、すぐに読めそうな本を見繕ってどんどん読んでいきました。
普段なら手に取らないであろう本を読んだので、新鮮な気持ちになることができました。
読書をはじめたころは、作家や自分の好みなんてわかりませんから、目についた本を手当たり次第に読んでいきました。そのころの気持ちがよみがえって、なんだか懐かしくなりました。
それに、期限がついているというのはいいですね。
わたしは普段、締切や期限などない生活をしているので、これもまた新鮮でした。
締切や期限があると、普段の自分にはない力が出せますね。ちょっと気持ちは焦りますが、最短距離でゴールに行こうと工夫するので、新たな道を見つけられました。
だけど、急いで読書するというのは一年に一回くらいでいいですね。それか、もう一生なくても構わないくらいです。
気持ちが焦っているせいで良書センサーが機能しなくなる……というか、機能はしているけれども司令塔の方がそれを却下してしまう。
そして、普段の自分なら読まない本を選んでしまう。選択基準はすぐに読めそうなくらい薄いかどうか。
ちょっと豊かとは言い難い。
読書はわたしにとって食事と一緒です。自分に贅肉をつけるために読書するのです。
豚に飯を詰め込むようにする食事=読書は人間らしいとはいえませんね。反省。
これからの読書は、真に滋養のある読書を目指します。数はこなさなくてもいいから、本当に読みたい本を読みます。
実は最近読んだ本で一冊、「これはひどい」と思ってこのブログでこき下ろした本があるのですが、「この本を好きな人を傷つけるかもしれない」と思って無難な記事に書き直したものがあります。
あんなひどいことを繰り返さないためにも、これからは良書センサーの導きのままに本を選ぶことをここに誓います。
来年はどんな本を読むのかなあ。
そうだ。溜まっている読みたい本リストを片付け始めよう。
積読にも手をつけよう。
年が明けた一月には、ハリー・ポッターシリーズを読もう。これは恒例化しようと思っていて、今年から始めました。来年は併せて映画も観るつもりです。
そういえば、このブログも続けていかないとなあ。書くのが面倒くさいような、そうでもないような、不思議な心地です。
まあ、続けられるなら続けていきます。
なにはともあれ100冊達成したので、これからはゆっくり本を読みます。
はあ、つかれた。
#1012 田中慎弥『孤独論 逃げよ、生きよ』感想
#1011 ルーシー・M.ボストン『グリーン・ノウの子どもたち』感想
2023/12/13
#1010 吉本ばなな『吉本ばなな自選選集〈2〉Loveラブ』感想
2023/12/12
#1009 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』感想
期待せずに読み始め、可もなく不可もなく読み終わりました。
芥川賞受賞作だけあって上手だなあと感心しました。
ただ、わたしは男性の生まれ持った楽観主義や無意識の下心が個人的に嫌いなので、そこは刺さらなかった。
敦が水城さんに対して心のどっかで期待していたことが透けてみえて、浮気してるのに何様だと思ってしまいました。
敦だけじゃなく、どっかの営業所のセクハラ男性の水城さんへの歪んだ好意も不快だった。
女を玩具のように扱って、それを可愛がっていると勘違いしている男たち。
自分に気安く接する女は自分のことが好きなんだという無邪気な無意識の信頼。
自分の周りにいる女の評価の判断基準は、自分とのセックスを受容してくれるかどうか。
それで女にパートナーがいたら、自分の心を守るために何も感じていなかったふりをする。
単純すぎてつまらない男の心理。
まあ、こういう嫌悪の感情を抱かせるのも作者の技量だと思うので、心置きなくその仕掛けに乗っておきます。
表題作以外の短編がもうひとつありましたが、こちらも刺さりませんでした。
個人的に、女が生まれ持っている狂気やそれを当て付けのように配偶者にぶつけるのが嫌いなので。
鮎子は回りくどいんですよね。狂気なら狂気らしくまっすぐ発狂すればいいのに、あくまで生活に根ざした狂気の発露の仕方。
それに振り回される周囲はうんざりですよ。純粋な狂気ならまだしも、不純物が混ざった狂気なんて生臭くて目も当てられません。
女の狂気は、本物以外はどこかで醒めているんです。ただ配偶者に罪悪感を抱かせたいから発狂するんです。どこかに打算が含まれている。
まあ、この嫌悪はわたしの経験をこの小説の出来事に過剰に当てはめた結果でしょう。
なにはともあれ、どちらの短編もわたしが個人的に嫌っていることを描いた作品でした。
こういう人間の嫌なところを微妙な塩梅で描写するのが作者の強みなんでしょうね。
この作品で描かれたような、「忘れがちだけど人間ってこういう嫌なところあるよなあ」という部分。
それをさりげなく見せられて、嫌悪の感情をそこはかとなく思い出して、なんとなく嫌な気持ちにはなったけれど、そこまで感情をかき乱されない。
上手い具合に舵取りができていて、そういう作者の冷静さには安心して身を預けられました。
文学というのはこうでなきゃなあと思い出した作品でした。
でもなあ。
心は子どもなので、わたしは夢や憧れを描いた作品や小奇麗な作品が好みです。
だけどもういい年だし、こういうほろ苦い情景に感じ入るのもたまにはいいかもしれません。
2023/12/08
#1008 望月竜馬『I Love Youの訳し方』感想
うーん、残念ながら、not for meでした。
でも素敵なコンセプトでしたね。
わたしだったら「I Love You」をどう訳すかなあ。
ちょっと捻りたいですよね。
「きみのオムツを変えたい」かな。
きみを産みたかったという意味と、きみが年をとって糞尿を垂れ流すようになっても傍にいたいという意味です。
けっこう大真面目に言っています。
ものすごく年上の人と付き合っていたとき、本気でそう思っていました。
実現することはなかったですが……。
なにはともあれ、人それぞれあると思うので、自分なりの「I Love You」を見つけたいですね。
#1007 岡田淳『こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ』感想
だいすきなこそあどの森シリーズ。
完結して悲しい思いをしていましたが、スピンオフ(?)が出ていて狂喜乱舞しました。
しかも、こそあどの森のメインキャラ全員がでてきた! うわー、もう、ファンにとっては最高の一冊ですよこれは。
こそあどの森シリーズは、来年から月に一冊ずつ買おうと思っています。そうすれば、一年で全巻揃うというわけです。
何度読んでも飽きないし、ワクワクするし、イラストも最高、キャラも大好き、物語もぜんぶ好きな本。こんな本が本棚に、いつでも手に取れるところにあるなんて最高すぎる。
来年が楽しみです!
本の感想としては……。
岡田淳の物語って、王道からすこしだけ外れるところが面白いんだよなあ……と改めて思いました。
ストーリーのお約束に沿うのかと思いきや、意外なところへと物語が転がっていく。
転がっていった先で何が起こるかわからない。先が読めないハラハラやトキメキを存分に味わえる。
そして読んだあとは必ず心がほんのりとあたたかくなる。スキッパーたちが大好きになる。
イラストもよかったです。あのイラストがあるおかげで、物語にさらに深みがでてくるんですよね。
今回は豪華なカラーがあって見どころがバッチリありました。きれいだった……。
それから本の見返しにこそあどの森を上空から見下ろした図があって、これまでの物語の舞台になった場所を見ることもできました。地図っていいですよね。
それにしても、どうしてこんなにあの登場人物たちを好きになってしまうんだろう?
たぶん、スパイスのように欠点がすこーしだけ含まれているからではないかな。
スキッパーは無口すぎるし、双子はワガママ。
スミレさんは辛辣だし、ギーコさんは気難しい。
ポットさんはお調子者だし、トマトさんは感情的。
トワイエさんは……。どもり? パッと思いつかないな。この影の薄さが欠点かな?
この登場人物たちをもっともっと見ていたいな……。
岡田淳先生、続編どんどん出してください。お願いします。頼みます。
もし出されなかったら、自分で物語を作って絵を描いてしまいそうだ……。
そういえば、ある時ふとこそあどの森のキャラが動いているところを見たいと思って、アニメを作ろうとしたことがありました。
スキッパーとドーモさんの絵を描いたのですが、スキッパーの髪の毛って描くの本当に難しいんですよ。
なにはともあれ、こそあどの森、まだまだ続編期待しています。
#1006 レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』感想
『さよなら僕の夏』を読みたくて、この本を読み始めました。
はじめてのレイ・ブラッドベリが『華氏451度』ではなく『たんぽぽのお酒』になる人っているのかな?
ずいぶん昔に蔦屋で英語の本のバーゲンのようなものがあってまとめて買い込んだのですが、そのなかにDandelion Wineがあったのも『たんぽぽのお酒』を読んだ理由です。
これはね……。
12月に読む本ではないですね。初夏に読み始めるべき本です。
毛布にくるまりながらこの本を読みましたが、気分はすっかり夏です。光と希望に満ちた輝かしい夏。
『たんぽぽのお酒』を読み終わったらすぐに次の『さよなら僕の夏』を読み始めようと図書館から借りていましたが、返しました。来年の夏に読みます。
ダグラスが自分が生きていることに気づいた夏のはじめ、そして自分が死ぬことを知った夏の終わり……。
グリーン・タウンの人々。希望があり、絶望があり、生があり、死がある。小さな町のなかに人生のすべてがある。
はあ、まだ心は架空のイリノイ州をさまよっています……。
お年寄りの話がよかったな。タイムマシンの老大佐、むかしはきれいだった老婦人……。過去を生きる人と、過去を捨てた人。
わたしはどうなるのだろうか。
すがるほどの過去はないから、老境に入ったら潔くすべて忘れて今を生きられるようになるんだろうか。
今を生きるってむずかしいです。
ささいな刺激で過去の嫌な記憶がよみがえり、読んだ本の内容を反芻し、成功した未来を思い描いています。
ダグラスの目にうつる景色があざやかなのは、今をいっぱいに受け止めて、その美しさに圧倒されているからだろうな。
目をひらいたら美しい世界がひらけているのに、薄汚れたわたしはなかなかそれを見ることができません。
まあ、物理的な問題もあるんです。
眼鏡が黄ばんでいるんですよ。ブルーライトカットの眼鏡なので。
たまに眼鏡を外して空を見ると、その青さ、本来の澄んだ空色に驚きます。わたしはどれだけ黄ばんだ世界を見ているんだと。
ブルーライトカットってあんまり意味がないみたいなので、次の眼鏡は絶対にふつうのクリアな眼鏡にします。
でもなあ。今の眼鏡、8万円くらいしたんですよ。次の眼鏡にはそんなにお金をかけられないし、格下眼鏡に降格することは必至。それなら高い眼鏡をかけていたいという貧乏根性で、この黄ばんだ眼鏡をかけ続けています。
眼鏡は消耗品、四年で消費期限、ということを忘れないようにしないといけませんね。
さて。
わたしの見る世界がくすんでいるのは、なにも眼鏡だけのせいではないのは確かなので。
少年のように世界が見れるようになることを祈ります。
夜の城にいってきた。
自宅の近くに城があるので、よく散歩にいく。
よく考えると、「自宅の近くに城がある」ってちょっと面白いな。
たぶん、ふつう城は自宅の近くにない……と思う。
城下町に住んでいるから、近くに城があることに慣れ切っていた。
ともあれ、大体15時か16時ごろに行って、暗くならないうちに帰ってくる。
だけど昨日は、城でイベントが開催されているので、夜に行ってきた。
紅葉の季節に毎年行われているイベントで、綺麗な模様にくりぬいた竹のなかに黄色い明かりを灯したオブジェが城の至るところに設置されている。
誰もいない公園を通り、大きな樹が両側にたくさんあって茂みに囲まれている遊歩道を通り抜けて城内の広場に向かった。
だだっ広い広場に出ると、ちらほらと人がいた。
白くライトアップされた城を遠くにみながら、ゆっくり歩いてオブジェを眺めた。
本格的な写真を撮る人がいて、走り回ってはしゃぐ高校生たちがいて、カップルがたくさんいた。
カップルの会話をBGMにしながらのんびりまわった。
広場からすこし離れたところに古い邸宅が建っていて、そこでもおおがかりなライトアップがされているので、そこに向かって人のいない道を歩いた。
いろいろ考え事をしながら歩いていたので気付くのが遅れたけれど、夜の城というのはちょっと不気味だった。
ふと顔をあげて誰もいない暗い道を見たとき、突然とほうもない寂しさに襲われた。
まるで通りがかりの幽霊に取りつかれたかのような寂しさの襲撃だった。
城のはしっこ、ほとんど誰も通らない道、街灯の明かりが届かない暗闇を見たとき。
寂しくて気が狂いそうになった。ひさしぶりに、孤独が理由で涙がにじんだ。嗚咽を漏らしそうなほどだった。
その道を通る途中でカップルとすれ違ったけれど、寂しさの衝撃は去らなかった。
邸宅は紅葉がはっとするほどきれいで、束の間寂しさを忘れられた。
けれどそこから帰る道で、またもや孤独な気持ちが戻ってきた。
昼間の穏やかな光にあふれた愛しい道が、荒野になってしまったような気分だった。
夜の闇のなか疲れた足をひきずりながら、わたしは思った。
この圧倒的で致死的な孤独を忘れるためなら、怪しげな宗教にだってすがるだろう、と。
新興宗教にはまっていた両親のことをいつのまにか思い出していた。
わたしは両親を許すことができず、誰かが死なない限り連絡しないでくれと突き放した。
盲目的に妄信する彼らのことを理解することができなかった。けれどあの孤独に向き合うくらいなら、のばされた手にすがりついてしまうかもしれない。
わたしはたまたま孤独に対する耐性が高いので麻痺しているけれど、本当に人間というのは孤独なのだ。
しみじみと、心の底から、存在の根底から、孤独なのだ。
わたしが強迫的に本を読み映画を観てご飯を食べる時すら海外ドラマを観ているのは、孤独を忘れるためなんだ。
人々は死を想起させる孤独からがむしゃらに逃れるために、社会を築き上げ関係を構築し、城を建てるのだろう。
冬の夜の城を歩きながら、そんなことを思っていた。
#1005 ポール・オースター『鍵のかかった部屋』感想
わたしの好きな外国作家三位なのに、好きすぎてなかなか読めないポール・オースター。
なかなか読めない理由は、彼の小説の空気を呼吸できる自分になれるときが少ないからでもあります。
透徹した孤独。極限まで追い詰められる自我。その恐ろしさに耐えられるときに読まないと、打ちのめされてしまいます。
一作目の『ガラスの街』で自分の心を粉々にされ、それから畏怖をもって接してきた作家です。
〈ニューヨーク三部作〉『ガラスの街』『幽霊たち』、そして『鍵のかかった部屋』。これらの本に共通しているのは、たしかに読んだはずなのに、内容をほとんど覚えていないんですよね。
わたしの記憶力の問題もあるかもしれませんが、それだけではありません。
文章に魅せられて最後まで息を切らして読み切ったはずなのに、振り返ってみると何もない。ただ、切れ切れのシーンの断片がちらりとよぎるだけ。圧倒的な空虚感だけが残り、その記憶を頼りにまた次の本へよろよろと歩いていく。
内容だけでなく、読後感までポール・オースター。
彼の本について語ることはほぼありません。
ただ読むだけです。
ただ心配なのが、現時点で読んでいるのが彼の初期の作品にあたること。
これから年代をくだるにつれ、彼の作品がどう変化していくのか、あるいは変化しないのか。
比較的最近の『幻影の書』も読んだけど、例によって内容を覚えていないのでポール・オースターがどうなったのかわからない。
というか、『幻影の書』に関する記憶がほぼない……。大抵の本は、いつどこで借りたか本棚の位置で覚えているのに、この本に関しては記憶がない。
まさか。
もしこの読後感が本の内容に関連しているとすれば、ポール・オースターの小説の主人公は、自我が粉々になるだけでなく、完全に消え去ってしまったということだろうか。
いま調べてみたところ、2018年の3月に読了しているので、単純に年月の問題かもしれない。
けれど、それよりずっと前の2012年10月に読んだ『ガラスの街』を覚えているのだから、それだけ記憶がすっぽり抜けているのはおかしいか……。
なんだか探偵小説のようになってきましたね。
果たして犯人は消えてしまったのか?
……そもそも、探偵はいたのだろうか?
#1003 吉本ばなな『吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト』感想
よしもとばななはたまに読みたくなる作家です。
図書館で見かけて、なんとなく読みたくなって読みました。選集だけあってすっごい分厚くて躊躇したんですが、これを機にまとめて読もうかなという気になったんでしょうか。
収録されている作品の半分は読んだことがあって、ちょっともったいない気持ちになりました。どうせならまだ読んだことのない作品が読みたいなあと思ってしまう人間です。
よしもとばななといえば、高校の教科書に作品がのっていて、解釈みたいなものを習いました。記憶が曖昧ですが、送られたシクラメンの花の意味とか文章からキーワードを抜き出して感情を当てはめたりとか。
生意気な高校生らしく、(よしもとばななを論理的に解釈するなんて、無粋なことするなあ)と思ってました。なんとなく、よしもとばななは感性の人という印象があったので。
よしもとばななが「こんなことがあったんだよね。困っちゃう」と書いたら読者が「そうなんだ。大変だね」ってなって、それでよしもとばななが「なんとなくこんな気持ちがしたんだよね」と書いたら、読者も「なんとなくその気持ちわかる気がするな」というかんじの小説だと受け取っていたので、解釈とか解説とかよしもとばななに必要か? と不満に思っていましたね。
いや、もしかしたら、よしもとばななを高校生に読んでもらうきっかけにするために題材に選んだのかもしれない。それだったら納得できます。人を選ばないし、読みやすいし、小説を読んだことがない子にも寄り添ってくれそうだ。
よしもとばななは基本的にゆるいんだけど、たまにヒヤッとする冷たさや怖さだったり、世界があまりに荘厳で崇高なことに気付かされて圧倒される凄さだったり、そういうギャップがいいですね。
今回読んだ本は「Occult オカルト」という題の通り、オカルトチックな話が収められているとのことでしたが、よしもとばななのお話って「オカルト」ではないですよね……?
なんといえばいいのか難しいですが、世間一般の人が認知している「オカルト」という言葉のイメージには当てはまらないというか。
確かに不思議なことが起こりますが、それは自然に起こることで、日常の中で当たり前に生起する問題のひとつというかんじ。
不気味さをことさら強調したり、怖がらせようという意図はない。ただ、不思議なこともあるものだなあ、としみじみ思う。
あら。なるほど。いま「オカルト」の意味を広辞苑で調べてみたのですが、「神秘的なこと。超自然的なさま。」だそうです。ぴったりだね。
「オカルト」って胡散臭くて世俗的で一部の人が熱狂的に信奉している、というひどい偏見があったので、それがちょっと修正されました。
さて、他の面白かった点は、初期ばななの拙さというか、言葉が無邪気に転がり出てもつれてるところです。若さのもたらすみずみずしさをそんなところに見つけました。頭の中の言葉にできないものをなんとか言葉にしようとする煩悶といいますか……。後期ばななは読んでいて引っかかりを感じることがなかったので新鮮でした。
作者の変化が小説ごとに表れているのはいいですね。よしもとばななの場合は、いろんな植物にぶつかりながら伸びていく南国のばななの樹みたい。ジャングルのなかで、陽がさんさんと照っていて、吹く風に生臭い花の匂いがする、みたいな。
吉本ばなな自選選集、「Occult オカルト」の次は「Love ラブ」だそうです。楽しみ!
#1004 出口治明『哲学と宗教全史』感想
これ、あと数ページで終わるというところで、ずっと放置していた本でした。やっと読み終わってスッキリ。
こういう勉強系というか教養系というかそういう本って自分が元気な時じゃないと読めないんです。
元気な期間が終わるとパッタリ建設的なことができなくなるので、あと数ページ読めば終わりという事実にも気付かず忘れ去ってしまう。
というわけで、読了までだいぶ時間がかかってしまいました。
「知らないことを知りたい!」と目をキラキラさせる時期はすぐに過ぎ去ってしまうので、その気力があるうちにせっせとこういう本を読まなければ。
この本は図書館で借りたのではなく購入した本なので、ずっと手元に置いておけます。
年表がついているのがいいですね。
年表といえば、主要な哲学者とその著作が書かれた年をスプレッドシートにまとめたなあ。
自分のなかで哲学ブームが起こったときに、哲学の入門書を読んでいた時期があり、そこで時を同じくして『哲学と宗教全史』も読み始めたんだと思います。五か月くらい前かな?
ときどき宗教ブームも巻き起こるので、哲学と宗教について概観できるこの本はこれからも重宝しそうです。
読み始めたときは平易な文章と気楽な距離感に疑念を抱いていました。読者に対してフレンドリーなのはいいが、一般人だと思って気軽に説明しているんじゃないか、と。
「これ本当か? 博識なおじさんが記憶を頼りに書いているんじゃあるまいな。ところどころ作者の推察が書かれてるが、学問的に正しいのか?」と疑いながら読んでいました。
その疑いが拭えず、図書館で見かけたちゃんとした歴史書(すみません、名前を失念しました)を借りて読んだのですが、すぐにギブアップしました。本物には歯が立たなかった。
わたしにはこの本くらいのレベルが今はちょうどいいようです。楽しんで読めました。
著者いわく、学生時代に比べて知見がどこまでアップデートされているか自信がないとのことだったので、わたしの疑念は中らずと雖も遠からずだったようです。
専門の研究者のちゃんとした学説が読みたいなあと思えたので、あと何冊か入門書を読んで筋力をつけたら、『世界の名著』にチャレンジしたいですね。
読書にも筋トレは必要なのだ……。
#1002 恩田陸『蜜蜂と遠雷』感想
すごく、すごく、すごく、よかった。
たぶん50mlくらい涙でました。キッチンに行って計りで50mlがどれくらいのものか見てみてください。それがわたしの感動の量です。
いえ、すみません。いまキッチンに行って50ml計ってみたのですが、さすがに涙の量にしては多すぎました。20mlです。20mlの涙が出たんですよ? 体感で。わたしがどのくらい感動したか、だいたいわかると思います。
わたしは基本的に本は図書館で借りて読みます。なので、予約がいっぱい入っている人気の本はなかなか読めないんです。今回はたまたま運が良くて本棚に並んでいるのを見つけて借りました。次に予約が入ってるみたいだったので、急いで読まなくちゃなあと思って読み始めたんですね。
二段組だしすごい分厚いな、返却日までに読めるかな、と心配したのですが杞憂でした。読み始めると止まらない。
読み始めて二日目、家に工事の人が来て作業してたのですが、その横で涙を流しながら一心に読みました。作業が終わって声をかけられた時、ちょうど風間塵の演奏中で無心で読んでいたのでびっくりしました。そういえば人いたな、と思い出しました。普段は人がいるとなかなか集中できないのに……。
工事の人に「時間が長くなってすみません」と言われて気付いたのですが、最初は40分くらいで終わると言われていた作業が二時間くらいになっていました。それくらい集中して読めたんです。
おもしろかった……。
コンクールの日程をその場で経験したような気持ち。
音楽をその場で聴いているような気持ち。
主人公たちと共に音楽を経験したような気持ち。
読み終わったあと、図書館に出かけました。apple musicで「蜜蜂と遠雷」を検索して、そのプレイリストをイヤフォンで聴きながら電車にゆられました。
ひさしぶりにきちんとクラシックを聴きました。演奏する前の亜夜のように、虚空を見つめて音楽を聴きました。
趣味で書いている小説に音楽家が出てくるので、素人ながら小説で音楽の描写をやったことがあり、そのときにクラシックをよく聴いていました。
音楽への賛美。限りない賞賛。憧れと陶酔。わたしが書いたのはそれくらいでしたが、『蜜蜂と遠雷』には暗い側面も克明に描かれていましたね。
ふと思ったのですが、恩田陸は音楽に対して「愛している」という言葉を使わなかったような……。(もし使っていたら教えてください)
「愛している」という気持ちを、「愛している」という言葉を使わずに書き切ったんだな。
溢れ出る愛を、言葉を尽くして表現した。
ある詩人の言葉に、「音楽とは、言葉を探している愛である」というものがある。
恩田陸は小説家として、言葉によって音楽を聴かせて、音楽によって引き起こされる感動を喚起させたんだ。
すごいことだよ、これは……。
どれくらい取材したんだろう。どれくらい資料を読んだんだろう。どれくらい勉強したんだろう。もしかしたら、ピアノを習ったのかな。インタビューがもしあったら、読む機会があれば読んでみたいなあ。
タイトルの『蜜蜂と遠雷』に関して。
蜜蜂の羽音は、風間塵にとって今聴こえている音楽そのものの音。亜夜にとっての雨音のギャロップ。
じゃあ遠雷は? と考えたとき。
それは、予感だと思う。嵐の予感。未来の風間塵やマサルや亜夜が弾く音。音楽が箱の中から連れ出され、空で鳴り響く音。神が鳴る音なんだと思う。
いまは遠く、空の彼方で鳴っている神鳴り。
遠雷。その音は、いずれ時がきたら、風間塵のアレンジやマサルの新曲や亜夜のコンサートで鳴り響くんだろうな。
というわけで、すばらしい小説でした。
世事に疎いわたしでも発売当初、世間が熱狂していたのを知っているくらい有名な本だけど、その理由がわかりました。
欲しい。本棚に欲しい一冊……。買っちゃおうかな? でもその前に、買うなら『ドミノ』かなあ。いやいや、『黒と茶の幻想』も捨てがたい。でももし『黒と茶の幻想』を買うなら、『三月は深き紅の淵を』も並べたい。それならいっそ理瀬シリーズを揃えたい……となってしまうので、購入は要検討。
恩田陸はミステリ作家ときどきオカルトサスペンスという印象だけど、たまに出す青春ものが大ヒットするよね。『夜のピクニック』のことですが。
『蜜蜂と遠雷』作中で、演奏家がやりたい曲とうまく弾ける曲が一致しないという趣旨のことが書かれていたけど、恩田陸にも当てはまるのかな。
そういう点でいうと、作中にもあった通りミステリ作家と音楽家って似ているなあ。
憧れる……わたしもミステリ作家や音楽家になってみたい。
そういえばわたしもピアノを習った時期がありました。礼拝でオルガンを弾いている時期もありました。
だからといって『蜜蜂と遠雷』にでてきた天才たちの気持ちがわかるというわけではないですが……。
こういう自分の記憶を呼び起こされて、憧れを募らせる小説っていいですよね。
いやあ、いい小説を読んだ。
何年後に思い出しても素敵な、大切な記憶になりそうです。
#1001 村上春樹『村上さんのところ』感想
村上春樹のこの手の本……読者から送られてきたメールに返事をするという形式の本は、今のところ二冊読んでいます。
『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』
『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』
読んでいるのは以上二冊ですね。
今、図書館から借りているのも一冊あります。
『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』
長いな! まったく……。
以前出版された三冊に比べて、『村上さんのところ』は村上春樹が真面目だなと思いました。
おそらく、真剣な質問が多かったからでしょう。あと、村上春樹も年を取ったということか……。
『村上さんのところ』を読んだあとに「ひとつ、村上さんでやってみるか」を読んでみると、村上春樹がくだけた口調で茶目っ気たっぷりなので驚きました。まだ若かったんだなあ。
でも村上春樹の可愛げは『村上さんのところ』でも健在で、にゃーにゃー鳴いて不都合なことを乗り切っていました。あんたもうおじいさんでしょうに。いくつになっても可愛いな。
イラストが安西水丸さんじゃなくなったのがなんとなくさみしいですね。若い頃はそこまで好きでもなかったのですが、お亡くなりになってから好きになりました。ゲンキンかな?
相変わらず「ハルキスト」ではなく「村上主義者」を推していらして、まだまだ世間への浸透度は低いんだなと感じました。
わたしも「ハルキスト」はなんか軽薄なかんじがして嫌です。
そもそも、もし自称「ハルキスト」なら上記の本を読んでいるはずですから、自分のことを「村上主義者」と呼称するはずじゃないですか?
これは真の村上春樹好きをあぶりだすテストだと思っています。
なんだか自分が気持ち悪くなってきたのでここらへんで終わります。
人を好きになるというのは気持ち悪くなるのと同義ですね。
#1000 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの生還』感想
2008年から読了した本をブクログに記録を始め、その完全版としてスプレッドシートにも記録していました。
スプレッドシートの記録が、2023年の11月に1000冊を達成いたしました。拍手!
1000冊達成した記念にブログでも始めてみようかと、いまこの文章を書いているわけです。
記念すべき1000冊目は、シャーロック・ホームズです。シリーズものの途中の巻です。
うーん、不満というほどでもないんですけど、ちょっと拍子抜けというか……それというのも、ちょっとした手違いがありまして。
実は1000冊目は特別な本にしようと思っていたこともありました。
でも、もうすぐ1000冊だということに気付いたのが遅くて、あまり計画を立てる時間がありませんでした。
なので、そのとき図書館から借りている手持ちの本の中から、自分にとって比較的特別感のある本を1000冊目にしようと決めました。
そして選んだのは次回の記事に出てくるであろう村上春樹『村上さんのところ』です。
村上春樹が一番好きな作家だし、きっとずっと覚えているであろう1000冊目にふさわしいかなと思った次第です。
しかし、あとから発覚したのですが、記録から漏れていた本がありまして。
梶井基次郎の『檸檬』。この本を、わたしは10月に読んだのに記録し忘れていたのです。
なので、この本が繰り上がりで1000冊目になってしまいました。
完全に油断していたし、こんな小さなミスが後々まで残る記念すべき1000冊目に影響するとは……。
なんだか、キッチリとやり切れないところがわたしらしいです。そこそこ几帳面だとは思うのですが、詰めが甘いんですよね。
本の感想としては……。
ホームズ本は、読書をする気力がないときでもかろうじて読める本です。
すべてがちょうどいい。
まず短編だし、魅力的なバディものだし、きれいに起承転結がおさまっていて、ミステリーありホラーありドラマあり、けっこう完璧なバランスの面白さなんですよね。
すごいよなあ。それに、シャーロキアンの訳者が事細かに注釈をつけてくれるおかげで霧深い十九世紀末ロンドンが鮮やかに感じられる。
あ、ちなみに光文社の新訳シャーロック・ホームズ全集です。これね、挿絵も当時の人気作家が描いたものが抜粋してのっていて、これがまたいいんです。
まだまだシリーズは続くので、細々と読んでいきたい。
はあ、1000冊目かあ……。
なんか、何千冊も読んだ気がしていましたが、そんなことなかったですね。
遅々とした歩みでなんとか1000冊たどりつきました。
ここまで来て思いましたが、これからの読書は厳しく選択していかなければならないなと感じました。
1000冊読んだからには、多少なりとも読書の筋力はついていることでしょう。
読書にも筋トレが必要ですよね。重い本を持つという物理的側面でもそうですが、重厚な本を読みこなす精神的筋力が必要だなと思うときが多々あります。
これからは、読みたくてもあまりに巨大で手が出せなかった壮大な小説を読める力が自分にあると信じて、どんどん大作に挑戦していきたいです。
時間も少ないですしね……。気力体力ともに、今が最大のピークであとは落ちていくだけでしょうから。
『ジャン・クリストフ』『アンナ・カレーニナ』『レ・ミゼラブル』あたりをまずは読みたいですね。
作家でいうとドストエフスキー、トルストイ、ジェイムズ・ジョイス。
勇気づけられるのは、もっと歳をとっても読書ができるんだということを、おぼろげながら知り始めたことです。
図書館などで出会う、わたしよりも年上の方たちが本棚のあいだをウロウロしていると、わたしもあの歳になっても本を読めるんだと実感できて少し安心します。
もっと若いころは、歳をとったら目が悪くなって本の文字が読めなくなり、大きな活字の本しか読めなくなるんだと思い込んでいたので、これは大きな進歩です。
まだ読んでいないおもしろい本を求めて、わたしはこれから何十年先も、図書館の本棚のあいだをウロウロするでしょう。
まだまだ読書人生は続く……!
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